2006年03月25日

梅が咲く


手折りきし梅の香るや食卓に認知症のケア今日もつづきぬ

畑に咲いていた梅を手折り食卓においた。香りが流れる。今日は破けた布を針でぬったり昨日は鍋物の料理をしたりこういうことはできるのだ。長年やってきたことは体で覚えているからできる。認知症の人はやれることはやらせた方がいい、なんにもさせない、家族と一緒にいても役割のない老人はぼけやすい、人間は生きている限り人であれ自然であれ必要とされる存在であらねばならない、それは死の時までつづくのだ。
認知症でも認知症は軽度の段階なら家族とか地域でもそれほど問題なく暮らせるかもしれない、ただ今までのつきあいとか様々なことが正常な時と同じようにはできない、今まで世話する方であっても今度は世話される方になるしなんとなくつきあいづらくなるのはしかたがない、そこを大目にみて受け入れてくれれば地域でもなんとか同じように軽度であれば暮らせるかもしれない、多少問題が起きたが今のところ正常の時と同じように生活が継続している。

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