2011年11月01日

野菊(それぞれの場にあった花)


野菊(それぞれの場にあった花)

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日々使う廊下の隅に野菊置く


我が家に野菊を飾り家事励む


目立たじや隅に置きたる野菊かな


仮設住む小高の人の川べりの落葉の道を今日も歩み暮る

花も何か精神的な象徴である。野菊となるとやはり謙虚さを示している。偶然に廊下の突き当たりの窓の所に置いたらあっていた。その廊下は細い暗い廊下だった。トイレとか風呂とか洗面所とかある狭い通路である。でもそこは日々に一番利用している廊下だったのである。家にもそれぞれの用があって作られている。家には実際はいろいろな部屋があってもいい、茶室としてあったところは今は介護の部屋である。茶室なんかもあれば確かにいい、それはそれなりの用ある部屋である。客をもてなす部屋だった。別に茶室は一つの部屋があれば作れる。金をかけなくても四畳半の部屋がそのまま茶室になる。なぜ茶とかに興味をもったかというと老人に向いているのは茶が向いていることがわかったのである。若いときは茶は向いていない、老人になると静けさや落ち着いたものの志向になるのだ。音楽でもそうでありロックよりはクラシックになってしまうだろう。最近高齢化で新しい老人文化が生まれるということを言う人がいるが確かにそうかもしれない、高度成長時代は明かに若者の文化全盛時代だった。団塊の世代そうだった。しかし今や団塊の世代は老人になったとき別な趣向になってくる。それがどういうものかわからないということは言える。何らかの新しい現代風の老人文化の創生なのだろう。そうはいっても何もないところから生み出せないから過去にあった茶などが参考になるのでてある。

この野菊は何か使用人などにあっている。使用人などは手伝いさんなどは目立たない仕事である。今はそういう人は少なくなった。戦前は必ず女中という仕事があった。ともかく家事が電化されていないから一仕事だったからそうなった。女中の数が多かったのはそのためである。家事もこれも仕事なのである。家事が他の仕事と劣っているということでもない、不可欠な人間の仕事なのである。
家事もだから生きがいになる。女性にとって嫁に家事を奪われたりして生きがいをなくすと認知症になりやすいということはいえる。嫁にお母さん何もしないでテレビでも見ていてくださいといわれて家の中で用なしにされとかえって危険である。人間は働くのは金のためだけではない生きがいのためもあるからだ。仮設住宅に移った人は仕事がなくなった人が多い、だからいつもス-パ-辺りで酒を飲んだりする人をみかける。あの人達も何かしら仕事していたのだが仕事ができなくなったのだろう。酒を飲んだりパチンコしたり飲み屋に行ったりとするばかりになるのもこまる。仕事がなく生きがいがなくなってしまうとそうなる。人間は金のためでだけではない、生きがいのために仕事をする。
その仕事が死ぬまでしていた人は幸せだったとなる。開業医でそういう人がいた。90まで仕事していたのである。そして病気になって一週間くらいで死んでしまった。こういう死に方が理想である。

ともかく花というのもその場に適合したとき一番映えるのである。だからこんなありふれた細い暗い廊下にたまたま置いた野菊があっていたのである。花は別に趣向をこらしたからといってあうものではない、金をかけて飾ったから映えるということもない、その場にあったとき映えるのである。家の中にそれぞれ用途があるが活かしきれていない、どういう用途があるからわからないのである。大きい家だと特にそうなる。日本人が茶室を発明したのはやはりもともと狭い所に用途を見出したためだろう。狭い国だからそうなった。大陸的な文化ではありえない文化である。その国土自体がいかに狭い土地を活かすかということにあったからである。それが日本の文化になったのである。
真野川の岸辺の道も落葉して毎日小高の人が歩いている。ただ働かないということは金の問題もあるがやはり生きがいがなくなるということで問題なのである。
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