2006年03月23日

春寒し(認知症は人間を戯画とする不可解?)

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春寒し昔語りて認知症

紫のクロッカスひそか一輪の庭に咲きふゆも誰か知るらむ


今日も親戚の人が来て昔を語った。墓参りにゆくつもりだったが今日は寒くてだめだった。まだ梅が咲いていないのは今年は寒かったからだろう。認知症の人が昔を語るのは昔にこそ自信にみちた自分の存在があったからだ。そのとき自分は今のあまりにも無力となった自分ではない、いろいろなことができた人の世話もできた自分だったからその昔を語ると自信に満ちた自分に帰れるからであるし現実に語っているときそうなっているのだ。自分の金である年金とか貯金の管理もできないというのもなんともあわれである。金をもたしてもどこかに隠したりしてなくすことが多いからもたせられないのである。自分の金も自分で使えないとなるとなんとも情けないとなる。なぜなら金は一番の力を持っているものだからだ。認知症でも障害者でも金をだせば客になるから粗末にできないのである。だから金にこだわるというのがわかるのである。

それにしても認知症は不可解な奇病である。なぜニュ−スなどを見て高度なことを理解しているのに他の世間話でも大人の会話が通じているのに貯金のことや簡単な整理ができないのか、バッグを10個くらい持ち一個のバッグにサイフを何個も入れてやたら封筒とかに金を入れてかえって金のありかがわからなくなり金がないと騒いでいるのだ。金が盗られると思い秘密の場所に隠すのだがそれがかえってわからなくして金が盗られたとか騒いでいるのだ。まるっきり忘れる記憶障害から様々な症状がでてくる。疑い深くなったり記憶されないことでいらだち怒り安くなったり不安になる。記憶する海馬が破壊されたために起こる病気なのだ。単なる物忘れとは違い海馬という記憶する部分が破壊されたため感情領域とか理性領域とか様々な脳の分野も影響を受けて脳全体の働きが低下してしまうのである。これはベトナム戦争でこの海馬が破壊されて異常をきたした兵士がいたことでもわかるのだ。老化とともに記憶する海馬にストレスがかかり破壊されて脳全体に影響して認知症になった。

それにしても人間の脳は心なのだから脳の一部が破壊されるとこんなふうになるのか?脳と心の関係がわかりにくいしこれは不可解である。脳と心は別物と思っていたからだ。心は神が作る、魂は神が作ると思っていたからだ。脳と心とか魂とか霊の関係はどうなっているのか?認知症に接してこの関係がどうなっているのか不思議でしょうがない、海馬という記憶の領域が破壊されたとすると脳を機械のようなものとして考えられるのか?記憶する海馬という部品が不具合を起こすとパソコンにウィルスが入ってパソコンソフトが働くなるようなこととにているのか?なぜ人間がこんなみじめなものにされてしまうのかもこれだけはなんとも不可解である。

全く人間の尊厳が失われこれが人間なのか?これが人間の最後の姿かと唖然としてしまうのである。死というのも無残であるが認知症になるようなことも死の前に人間が戯画のように笑い物ののようにされてしまう不可解さがある。ヨブはそんなことにされたが認知症のようなものにはされていない、意識も頭も正常だったからだ。人間が機械ではないから機械が壊れてがたがたになるようなものとは思えなかったからである。いづれにしろこの認知症は人間を失墜させるものでありなぜこんなものが人間に課せられ死んでゆかねばならないのか?これではあまりにも人間というのは無惨すぎるとなってしまうのである。
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