2007年08月06日

蜉蝣

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飯館へ夏雲湧きて峠越ゆ


大岩の日がな影なし涼しかな

蜉蝣や苔しっとりと濡るる岩

白雲をダムに映して合歓の花

老鴬や午後の山陰草深し

影なせる流れの岸や夏薊

夏の鳥森に騒ぎてまだ暮れじ

木洩れ日のさしてひびける朝の滝岩場に咲けるキツネノカミソリ

清水濡る岩場にひそか金紋蛾羽を休める朝の一時

・・・・・・・・
山陰の影なして叢深く

流れの清くここにひびき

ゆくりなく老鴬の鳴く声

家居もなしに我が一人

午後の長き影なす道を

流れにそいて行くかな
・・・・・・・・・・・・

真野ダムに行く道すがら三つほど清水が滝となって落ちている。その木陰や山紫陽花の葉陰で休む、するとそこにおりしも金紋蛾が羽を休め蜉蝣が透き通った羽を妖精のように見せていた。自然にはいろいろ発見がまだある。自然の生命の営みはあまりにも多様なのである。今年は異常に暑いから東北も熱帯地方になった。森で騒いでいる夏の鳥はまさに熱帯の感じだ。熱帯の森は生命に満ちあふれているからだ。暑いところで生命は豊富となり多様になる。暑いからこそ涼しさがある。このくらい暑いと水でも特別涼しいものに感じるのだ。去年はあまり曇って暑くなかったが今年は異常な暑さである。暑いと家にいたくない、ク−ラ−で閉じこもっているより自然の涼を求める。そして雷がなり雨がふり夜涼しくなった。自然とはうまくできているなと思った。あまりに暑いから涼しさを提供する、熱帯では一日一回必ずスコ−ル−雨が降るのもあまりに暑いから涼しくしてくれる、自然のク−ラ−を作り出してくれるのである。
人間は自然にマッチして生きていればそれなりの快適さを自然が神が無料で提供してくれる。ク−ラ−などは本来必要ないようにできている。都会では自然の涼を求めることができない、一日ク−ラ−のなかで暮らし仕事をして二酸化炭素を出してますます暑くして悪循環になるのだ。密集した都会は異常であり自然の摂理に反するからいづれもたなくなる。自然の摂理に反しているからいくら原子力発電とかで補おうとしてもそれ自体かなり危険なものでありそれが地震で証明されたのである。
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