芸術の秋(日常が芸術だった)
洗濯物干して仮設に秋の風
残る蝉墓所にひびきて家数軒
作らざる壺にさしたる野菊かな
朝は苦手だけど朝はやはり気持ちいい、菊が畑に咲いていた。今日も勤めがあり勤めを果たそうとする、キクとかいう名前は昔は多かった。今はそういう名前が全くないということも日本の文化の消失を示しているのかもしれない、女性もキクのようにあるということがあったからだ。やはり江戸時代から明治時代になったとき江戸時代は失われた。江戸時代ば日本文明の最期の総決算だったのである。明治以降はその日本的なるものが喪失したのである。だから日本を知ろうとしたら明治以降ではできない、江戸時代を知らなければ日本はわからないのである。日本人についてもわからない。明治以降は西洋人になっているからわからないのである。
仮設住宅の不思議はそこに人が住んではじめてあそこの一本の樹が活きている。あの樹に注目したことはなかった。あそこに人が住み始めて意識したのである。洗濯物が干してあり人の生活の匂いが生まれる。今や秋である。人があそこに住み始めたときあの樹も人ともに生き始めたのである。例えば飯館村とかも自然豊かな村だったが人々が去ったときどういうことになったかというと、その村にある自然は樹などでも人間化した樹となっていた。石でもそうである。原自然の樹と人間化した樹は違っている。公園の樹なども人間化した樹である。だから人間がいなくなるとペットのように人間化した樹だから人間なくしてはありえなくなっていたのだ。その樹はだから人間が戻るのを待っている樹なのである。人間の情が移った樹だからである。それでゴ-ストタウンになると余計に淋しくなるのである。田園は人間によって作られた風景であり人間化した自然である。庭もそうである。人間がいなくなったら活きてこないのである。
秋はやはり芸術の秋だった。芸術というと何か特別なものとしてあると思っているが芸術は日常的なものにこそあった。益子焼が日常の生活品の中に美を見出したのはそのためである。何気ない普通に使っているもののなかに美があった。別に工夫して作りすぎるのが芸術ではない、ありふれた壺に野の一輪の花をさしてもそれが美になる。生け花なども作りすぎると本当は嫌なものとなる。確かにそういう面がある。芸術は日常と離れて作りすぎるとき不自然なものになる。つまり自然とともに暮らしている人はその人自体が芸術的なのである。ミレ-の絵などがそうである。そこに深い祈りを見出したのである。この壺もたまたま買ったものであり普通にある安物である。作られた高価な壺ではない、でもそれが野菊を挿すのにあっていたのである。
この壺を見たら愚かだけど馬鹿正直な女性のことを思い出した。そういう感じの壺だった。その辺に普通に転がっている壺なのである。そこにも美はあった。立派な高価な壺に野菊をさすのはかえってあっていなかったのである。
旅をしたけど旅は江戸時代にあった。最近は旅ではなくホテルでの保養に変わったのだ。だから料理にこだわるのである。豪華なホテルに旅情がかえってないのである。旅情があったのは江戸時代だったのである。江戸時代は失われたけど日本の自然はまだ失われていない、そこが救いである。
「芸術の秋」であった。ただ現在のこの辺の状態はその基盤となる生活が消失したから芸術の秋がもう一つないし勤めようにも勤められない人々があふれている。仮設で仕事かなく酒飲んでいる人もいるようだしパチンコなどばかりしている人も多いだろう。保険金もらって飲み屋が繁盛しているというのも変である。普通の日常が失われたからそんなことになっているのだ。人間が勤めが仕事がなくなったらそれも大問題なのである。