病人をかかえて長し虫の声
秋の蝉鳴きやみにけり深き森
親しみし街離れえじ秋薔薇
the long living city
roses in autumn
雨しとと行き来の道や秋薔薇
秋となり津波の跡に蛙鳴く
病人をかかえてから結構長い、介護は今は長くなる。10年介護していたとか聞く、条件が良い時代と病気になっても長く生きる場合がある。すでに5年が介護だった。病人を家にかかえると重苦しくなる。朝起きてみると寝ているし咳したり苦しそうにしているから介護する人も重苦しくなるのだ。
朝起きて笑って迎えられるのとはまるで違う。いろいろ家族をみると必ず病人をかかえた家とか経験した家も多い、その時間が長いのである。脳卒中でも軽ければ簡単には今は死なない、するとそのあとが長いし介護する人が大変になるのだ。毎日虫の声でも生きている。介護だとまず遠くには出れない、だから原町へ毎日のように行っている。気晴らしになるからだ。相馬市までだと遠いからなかなか行けない、原町は近いから電動自転車で楽に行ける。
いづれにしろ秋薔薇を見るとき夏に咲き、秋に咲き、冬にも咲く、その時間の経過の中で見ている。そういう経過は一カ所に住み続けないとそういう趣はえられない、旅ではそうした長い時間の経過のなかで見ることができない、人間は最後はどこかに定着するのが運命である。定着して人生を終結するのが運命なのだ。だから60すぎたらなかなか住み慣れた所を離れにくいのだ。人生の継続としてその場がある。故郷もそうである。だから原発事故で故郷を離れざるをえなくなった人は悲劇だった。もう移住するより死んだ方がいいと90くらいの人が思った気持ちがわかる。実際に墓に入りますと自殺した高齢者がいた。人間は最後は住み慣れた所から離れにくい、街でも離れにくいのだ。若い人はまだ離れても他で生活する時間がもてる,老人はそこで住んだ延長でしかありえない、生の存在意義はそこで生きた延長としてあり新たに生の意義をアイディンティティを見出すことはむずかしいのである。生の意義とかなるとむずかしいがむしろ人間の本能的なものとしてそうなってしまうのである。人間は最後はその土地の樹や石のようになってしまう。だから放射能汚染された土地にへばりついていないでさっさっと他に移れよとか言われるが老人には簡単にはそうはできないのである。長い人生の時間の中ではぐくまれ作られたものがあるからだ。それはその土地と結びついていることが多い。
今日は秋の蝉の声は聞こえなかった。遂に蝉の声もやんだ。津波の跡の水たまりで蛙が鳴いていた。蛙はみんな死んだわけではない、水田がなくても水たまりがあると生きる。現に湿地帯化している所がある。真野小学校の前は深い湿地帯化している。水がたまりそのまま消えないで沼化する所がある。あそこに水葵など咲くと湿地帯である。小島田の真野小学校まで津波が来たことには驚いたろう。あそこまで船が流されたことも驚く、ただ小学校なら二階に逃げれば助かったし人的被害はなかった。烏崎の人の被害は大きかった。