神戸震災の中で作られた俳句
枯草や住居なくんば命熱し 永田耕衣.
その後、避難所生活ののち、老人ホームで生涯を閉じた。享年97。
耕衣は常々「雑草の哲学」と口にしていたらしい。
神戸の震災は遠いからそれほど実感しなかった。ただ驚いたのがアナウンサ-が燃えたばかりの骨を手にもって報道していたことである。それが熱いといっていた。あの長田区の火事はテレビで見ただけで凄まじいものだった。神戸に近い大阪辺りだったらその恐ろしさを実感したのだ。6千人も死んだのだからあの地震も恐怖として焼きついていた。ただ遠いということでイマイチ実感に欠けていた。やはり遠いということはいくらテレビで報道しても実感できないのである。
それでもあの映像を見たときショックだったから3000円送った。今回は見舞金5万もらったから少なかった。ただこの5万円は原発が関係している。あと30キロ圏外でも一人十万はもらえる。
原発の被害は意外と大きいものだった。田畑が耕せなくなったり地元で作ったものが食べられないのは本当に困る。
・・・・焼かれ芽吹きぬ・・・・・
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この俳句も異常である。やはり火の恐怖がここにあった。津波の恐怖は水の恐怖だった。気仙沼では火事もあったから火と水の恐怖が一度にやってきた。そこにいた人の恐怖はどれだけのものだったろうか。自分も津波と原発事故が重なったとき本当にこの世の終わりが来たかと真剣に思った。家族の認知症介護から次に自分の病気から犯罪にあうことや災難続きであり
今度は地震、津波、原発事故と来れば本当にこの世の終わりかと思う。人間は火と水で滅ぶというのを実感した。今は放射能でも滅ぶ。
永田耕衣は
95才でこうした大災難にあいそのまま死んだ人もいる。今回の津波原発事故でも百人くらい避難所とかで高齢者が弱り死んでいる。こんな年まで災難はある。95才の母は動けなかった。
神戸の地震災害にあった人は体験しているから今回の津波でもいち早く支援してくれたということがあった。こんな災害のとき俳句とか短歌などよんでいられないきが普通である。ただ習慣的に俳句短歌を作った人はそういう場合でも作るのである。習慣とはどんな時でも継続されているのだ。
枯草や住居なくんば命熱し
95才でこんな俳句作れるものだろうか、相当気丈夫だったのか、健康だったのか?95才だったらこれだけの災難にあえばまいってしまう。自分なんか年としては30年違っているからその年に驚く、ただ今は90才は珍しくなくなっている。そこまで゛生きるのはわかるにしても命熱くとなるだろうか?命がなえてしまわないか?なんか自分は病気になって気弱になったからそう思うのだろう。90才を想定した人生は本当に長い。あと30年生きるとなるとこれも一つの人生の期間である。25才頃師が90才の人生と言っていたが本当にそれは長いのだ。ただ高齢者でも津波の被害にあった人はたくさんいるし死んでもいる。原発事故では避難所暮らしした人もいるし今は仮設で暮らしている。だから高齢者も災難を逃れることはできなかった。戦後生まれの人は災難とは何か知らない、戦争を経験した人は知っている。人生に災難はさけられない、自分の家でも二回水害で浸水している。一回目は伊勢湾台風では家が流されたと思ったが辛うじて残ったのである。倒産-貧乏-戦争-貧乏-水害-病気-地震-津波とかそういう時代を85以上の人は送っている。人間は死ぬまで災難がつづくのだ。火宅の世に生きるのが運命なのである。
「火宅無常の世界は、万のこと皆もって、空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します」(歎異鈔)
つくづくこういう世界に人間は生きている。人とて頼りにならない、裏切りなどはどこにでもある。こういうことをここ5年間に一時に体験した。だから念仏のみとなるのは今の世ではありえないにしろこれだけ種々のものに恵まれている時代でも火宅の世に変わりなかった。ただたまたまそれが来るのが遅かっただけである。
芽吹きと地割れ
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