2011年09月02日

イノシシとゴルフ場 (イノシシは放射能に一番汚染されていた)


イノシシとゴルフ場

(イノシシは放射能に一番汚染されていた)

●森のイノシシは一番放射性物質をとりこんでいた


 宮城県は19日、県猟友会の会員が捕獲したイノシシの肉から、暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)を超す1キロ・グラムあたり2200ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。


 イノシシ肉は市場に流通していないが、県は野生動物の食用摂取を控えるように呼びかけている。発表によると、イノシシは7日に同県南部の角田市で捕獲され、同会が16日に検査機関に検査を依頼した。イノシシは通常、土中の虫や畑の作物を餌にしている。

野生イノシシからセシウム 最大で基準値6倍以上


福島県は26日、同県二本松、相馬、南相馬の3市で捕獲された野生のイノシシ12頭の肉から、食肉の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える563〜3221ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。

(2011年8月19日23時09分  読売新聞)

ウクライナのチェルノブイリ原発事故でヨーロッパが放射能の雲に覆われてから25年を経た今日でも、イノシシの放射能が高いため、食べないよう勧告が行われている。イノシシの好物のキノコ類も食用に適さない。

ドイツの経験は、もし福島原発の状況が悪化を続ければ、日本でもこれから起きうることを示しているといえる。
ドイツのイノシシが生きている森はチェルノブイリから1,500km離れている。だが、その体内組織に含まれる放射性のセシウム137の濃度は、食べても安全とされるレベルの数十倍、通常の数千倍に達することも多い。
イノシシがゴルフ場に現れ芝生を掘り起こしミミズを食う(南相馬市)


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いわき市のゴルフ場

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福島第一原発事故による放射能汚染とサル、イノシシの生息域=2011年5月25日夕刊
 http://www.asahi.com/photonews/gallery/infographics4/0525_animals-exposure.html



イノシシが近くのゴルフ場まで出てきて芝生を掘り起こしミミズをあさった。原発の放射能汚染で放置されたゴルフ場である。イノシシは街近くまででてきている。近年山に餌不足でそうなった。生息域を見ると広範囲であり街近くまで出てきている。ノウサギも六号線のすぐ側まででてきたのに驚いた。やはり餌を探して街近くまででてくる。今やイノシシや猿などにとっては人が消えた場所は住みやすい、飯館村でも人は住んでいないから格好の住み処になる。自由に人の住んでいる所に出てきても追い払われない、猿もそうである。チェルノブエリでも野生の楽園になったというのはそのことである。しかしイノシシからやはりセシウムにかなり高く汚染されていた。 ドイツのイノシシが生きている森はチェルノブイリから1,500km離れている。だが、その体内組織に含まれる放射性のセシウム137の濃度は、食べても安全とされるレベルの数十倍、通常の数千倍に達することも多い。


これは恐ろしい事実である。森は一番放射性物質に汚染されやすい、森は堆積しやすい、そして放射性物質は森の中で循環して消えないのである。草むらとか木の葉などにも付着しやすい。だから森は放射線量が高い。その森にイノシシが住んでいるのだから当然放射性物質をセシウムをとりこんでいるからこれほど高くなっている。イノシシがそれほど放射性物質をとりこんで将来的にどうなってしまうのだろうか?繁殖はつづけるだろうし数もふえる。その中で奇形のイノシシが生まれるのだろうか?飯館村や浪江の山中ではすごく放射線量が高いところがあるからあの辺だとイノシシも大量の放射性物質をとりこむことになる。宮城県ですら高いからもっと高くなる。放射能イノシシが人のいなくなった自然のなかで生きることの不思議である。


●ゴルフ場は必要なのか?


私達の地域では山のふもとにゴルフ場が出来た後,江戸時代から使われていた地下水路への源泉が枯れ,地下水も汚染されました.
何を持ってゴルフ場の存在を正当化できるのか,教えてください


◆就業4000人超◆

 周辺にゴルフ場が集中する同校には今春、189件の求人があり、うち21件がゴルフ場関連。
就職した卒業生の約4分の1の就職先がゴルフ場だった。ゴルフ関連の就業人口は市内だけでも4000人以上と需要は高く、
同校は芝の種類に応じた管理やグリーンの整備など専門技術を身に着けた即戦力の供給を目指す。



ゴルフ場が必要かどうかというときゴルフ場を経営する人は必要というし自然破壊でもないという、農薬もそれほど影響ないとかともいう、ただ経営者が言うときはこれも信じられない、原発を作る方と同じだからである。それなりの自然破壊はある。それで反対する人もいる。そもそも自分などはゴルフなど無駄だと思う。贅沢であり何で金かけてやっているのかと思う。でもゴルフ三昧の人が多い。退職した人も暇だからやっているしそんなものに良く金をかけると思う。外国まで行ってゴルフをやっていることに驚く。韓国から福島に来る団体客はゴルフのためだというのもそのためである。ゴルフやらない人にとってはゴルフなんか贅沢だと思う。しかしゴルフをやる人にとってはそうではない、車を乗らない人には無駄だと思う点があるが全部を否定はできない、でもゴルフはたかが遊びじゃないかとみてしまうのである。そんなものになぜ金と手間をかけているのだろうと疑問になる。贅沢な時代だからそういうことも許される、多様な価値観に生きる時代だからしょうがないといえばそれまでである。


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●価値観の対立の恐怖


実際に人間の価値観の対立は恐ろしく深刻である。大将生まれの娯楽も何も楽しみを知らない働きづめの人は絶対に無駄な金を使わない、例えば庭を作ってもその庭を無駄だと思っている、死んだように寝ていたと思ったら起きてきて何を言うかと思ったら庭は無駄だとそれだけを言い張る。それは一種の恐るべき狂気だと思った。それは決して当事者になれば笑い事ではない、老人のそうした頑固さは狂気である。そういう人と一緒にいることは狂人と一緒にいると同じだった。認知症もそうだったが老人は自分の主張を絶対に曲げない、それがどんなに異常なことでも曲げない、それが狂気なのである。人生をただ何の楽しみもなくただ働きづめだった人生も恐ろしいと思った。そういう人は花にも何ら美しいと見ないのだ。花を観賞する余裕もなく働かさせられたからである。その生い立ちの不幸がそうさせけいるのだ。だから無駄をしないという価値観を曲げることはない、それが狂気になっているのだ。他人だったらいいが身内だったら笑い事ではすまされない、身内だったら認知症でも他では笑っていても当事者はものすごく深刻なものとなる。毎日狂人とつきあわさせれられるのだからこれほど辛いことはないのだ。だから結婚するときとか共同生活するときで大事なのは価値観を同じくするものでないとだめである。例えば共同生活してゴルフばかりやっているときそのゴルフの価値を認めない人は一緒にはすめないのである。価値観の対立ほど恐ろしいことはないのだ。老人になったら価値観を変えることはもはやできないからである。


いづれにしろゴルフ場も原発で存続が危ぶまれる異常事態である。イノシシに荒され元の森に戻ってしまうのか?損害は何百億だと東電に賠償請求をしている。一体この辺は田んぼは草茫々になり人は近くに人は住まなくなり一体どうなってしまうのか?こうした異常事態はいつまでつづくのか?ここに住んでいること自体何か落ち着かない不安に襲われるのである。田舎の生活は基本的に農業がなくなれば成り立たない、そういう農業なしの生活がここで可能なのかとなる。混乱状態もやがておさまってくるのか?そういうことがわからない、先が見えない、かといって老人になると移動するのはむずかしい。正直ここにいること自体何か不安であり落ち着かないからもっと落ち着いたところで生活したいということがある。でも移れないのが現状なのである。

posted by 老鶯 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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