亡き妻に法螺貝鳴らしもののふの役目を終えて今年も帰りぬ
養いし愛馬にも傷津浪にも助かりにつ出陣果たす
馬一頭津浪に流され野馬追いに今年はいでず無念なるかな
野馬追いは今年も開催されたけど6分の一だから迫力なかった。それでも特別の野馬追いになった。NHKで放送していたのは海老村だったようだ。あそこは高いのだけど村がほとんど壊滅した。墓所のあるところは高いから残った。高くても海に接していれば被害が大きかった。崖の上でも何人か死んだのには驚いた。
おくさんがいろいろ世話して毎年野馬追いに出ていた。それでおくさんへの思いが深かった。
墓であれ津浪に流された家の跡や村の跡で法螺貝を吹いた。それが今回は鎮魂の法螺貝なった。一段と思いのこもるものとなった。他でもなんとか祭りをしようしたり津浪の被害はいろいろでありとても語りつくせない、烏崎に水葵が咲いたのも驚きだった。津浪で上の土が流されてそれで下の土から水葵が咲いたというのも不思議である。これは自然現象だけど人間的なものとしてもいろいろなことがあった。馬まで流されて足に傷があった。一頭は助かったが一頭は死んだ。馬も無念だったとなる。
野馬追いは侍-武士(もののふ)の伝統を残すものだけど作法として残っているだけで侍の精神というのは何なのかわからなくなった。でも作法でも伝えられていればそこから侍とは何か学ぶものはある。武道などは型から入るし型を徹底的に教え込まれる。つまり精神より形から入るのが武道なのである。本当の戦になったら型など関係なくなる、でも平和時になれば戦闘でも型として教えることになる。だから野馬追いでもそれぞれの役目があって型があってだいたいその通りにする。いづれにしろ野馬追いでは侍の姿を見ることができるが侍とは何であったか今となるわかりにくい、武士道と言っても明治以降は別なものになっていたのだ。それでも実際の姿として侍を見るのは野馬追いであり貴重な祭りなのである。
いづれにしろ今回の野馬追いは津浪の被害を受けた人には特別なものとなった。何とも悲しいというか切ないとういかそういうものを見ただけで感じた。野馬追いは今や本当に雲雀が原で集結してやれるのかとなる。相馬藩というのが崩壊の危機にたたされた。もちろん相馬藩はなくなったのだけどその伝統の祭りの維持も危機にたたされたのだ。
◇がれきから救出の馬も津波被害にあった南相馬市では、厩舎のがれきの下から3週間ぶりに馬が助け出だされ、出場を目指めざして練習に励んでいます。復興の願いを込めてつけられた名前は「日の出」を意味する「サンライズ」です。
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/kousaten/archive/
news/2011/06/20110607kei00s00s009000c.html
これを「伝統」だというのか。
伝統を知る出場者の間で、顰蹙をかっている出場者を、わざわざNHKも民放も出演させて全国に放映する。馬鹿馬鹿しい無知なマスコミが。誤った「伝統」錯誤を放映した鹿島の野馬追。
原町の中止は、当然だった。
死者を弔う、と言って、わけのわからぬ行動をしている連中に比べれば、中止決定したのは正しい。
本質を的外れした報道は、害悪である。
そうですか、極端な意見のように思いますけど
確かに野馬追いは別にお盆とかの死者を鎮魂する
祭りの謂われは全くない・・・
死者とは何ら関係はないことは確かです
そういう面からの主張はわかりますが・・・
でも事情が事情だからどういうものなのか
ドミンゴさんの意見に反発する人もいますよ
かつてこの地を治めた相馬藩の直径の子孫である相馬行胤(みちたね)さんは、胸に黒い喪章を付けた騎馬武者に訓示を述べた。
「一人ひとりが相馬野馬追の伝統の力を信じてほしい」
http://seetell.jp/16194
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喪章をつけるというのはちょっと変なのかもしれない
弔い合戦などあったから過去にもあったのか
津浪で死んだのは敵に殺された訳ではない
そういう点は変なかもしれない
でもドミンゴさんのような指摘する人はいないでしょう
野馬追いに参加した当事者もやはり鎮魂の野馬追いでいいということになったのでしょう
だから喪章をつけることにみんな賛成した
理屈では津浪は敵じゃないですから
そう言われれば変なことは変だと思いましたが・・