なぜ東北の慶長地震の津浪は大きく伝わらなかったのか?
(マスコミからインタ-ネットへの変化は社会を変えるのか?)
貞観津浪は千年前以上で古いのに京都まで広く知られていた。つまり中央政府に知られていた。それは多賀城があったためである。中央の役人が相当数きていて短歌も残しているからわかる。末の松山と有名な歌枕となったがそれは貞観津浪があったために歌枕の地となった。
歌枕となったということはみちのくの奥でも都に知られたということである。その当時は都に知られる意義は今よりずっと大きい。なぜなら京都から遠く離れていると情報が伝わらないからだ。
遠くの情報は貴重になる。だからこそ歌枕として記録された。歌枕はだから単なる風流ではない、どうして陸奥をしるかという目印であり地図だった。地図すらないときは歌枕が地図でありその地名から知るほかない、だから芭蕉の奥の細道でも歌枕をたどっているのは特別に風流を求めたわけでもない、地図として歌枕が指標となっていたからである。
そしてなぜ慶長地震の津浪も貞観津浪に匹敵するものだったのに都の人にも伝わらず地域的に伝えられるにすぎなかったのか?それも詳細はわからないし都の人の話題にもならなかった。それはすでに多賀城の時代は終わって江戸時代に入っていたのである。蝦夷征服は昔のことであり多賀城も遺跡として埋もれてしまった。だからかえって都にも伝わらず全国的にも伝わらなかった。相馬藩と宮城県の伊達市には伝わっていた。それも何百人死んだという記述しかない。その規模は貞観津浪と同じくらいでも地方的な災害として終わった。貞観津浪は京都の祇園祭がその犠牲者を弔うことに由来があるというときそれだけ都の人々にも全国的な広がりのあるものとて知られていたのである。だからかえって地域的なものとして知られていないからそんなに話題にもならず地域的な災害の記録としてしか残らなかった。学者が研究したのも貞観津浪であり慶長津浪でなかった。そこに慶長津浪が歴史的に注目されない理由があった。
それだけの災害でも封建時代になると藩中心の社会だから他に伝わりにくかったのである。
●インタ-ネットなどで情報が世界的に拡大
それに比べると今は世界的に情報は即時に伝えられる。ベルギ-にいたサッカ-選手の川島が「フクシマ、フクシマ」と原発のことでやじられ怒っている抗議している姿がテレビで写された。
ベルギ-までフクシマのことが知られてそんなヤジが飛んでいたことに驚いた。フクシマの原発事故はそれだけ世界的関心がもたれた。南相馬市長がyoutubeで窮状を訴えて世界的に有名になったというのもインタ-ネットが普及したためである。それほどインタ-ネットが情報伝達に有効なのかという疑問はあった。でも今や世界的なデモや革命がインタ-ネットを通じて成されていることが情報環境が変わったためである。インタ-ネットを通じて社会が変えられるということは日本ではあまり考えられない、まだ遊び的な少数派のものだと思っていた。でもインタ-ネットにアクセスする人が初期の段階からすると10倍以上に増えているかもしれない、すると当然影響力も大きくなる。仮設住宅でもインタ-ネットしていることに驚く。インタ-ネットは必需品になりつつある。インタ-ネットが今までのマスコミのように伝達力を備えればマスコミの力は衰える。インタ-ネットは実際は余りにも簡単に情報を伝達できる。それも文章でも映像でも音声でも素人でもできるから新聞とかテレビとかラジオとか本とかを一緒にしたような機能を素人でも使いこなせるのである。それをなぜ今までのマスコミがインタ-ネットでしないのか?コストも極端に安くなる。インタ-ネットはまだ陰のメデアとしてマスコミ側がしておきたいのである。ただこれも相当に変わってきている。インタ-ネットなしでは情報通になれない時代になってきた。かえってマスコミだけの情報では取り残されるという不安感も生じている。
●会社人間、組織人間が隠蔽を生み原発事故につながった
そしてインタ-ネットは個人でメデアを持てることが画期的だったのである。ここにはいろいろ問題あるにしろ機能的にはそうなっている。マスコミというとき今はどこでも会社人間になっているようにマスコミもあくまで会社人間であり会社の命令に従うのであり会社には逆らえない、社命に絶対服従である。個人として取材して何か社会に訴えたいとしても無理である。東電を批判したいとしてもできない、社命でするなと言われればできないのが今の社会である。それは別にマスコミだけではない、会社人間と化して社会では会社の命令は絶対であり逆らうことはできない。東電に勤めている人もやはり巨大な国のような会社の一員として行動する。いろいろ原発でも問題があっても内部告発できたのはGEのアメリカ人しかいなかった。会社には逆らえない、もし逆らえばやめるほかなくなってくる。会社をやめれば路頭に迷うことになる。だから会社を告発することは一番むずかしいことなのである。そういう会社人間組織人間であるから戦争のときのように上らかの命令には社命として従わねばならない、何か不正があったり告発したくてもなかなかできない、会社や組織からはずされたら死を意味する場合もある。江戸時代から明治の初期とかは会社人間はいない、職人でも商人でも個々人でやっていたのである。大店とかに奉公もあったが基本的には今のような大きな会社がありそんな力をもっていない。そういう会社人間化したことも今回の原発事故の原因となっていた。内部から告発しにくいのである。だから悪は隠蔽されつづけたのである。侍にはモラルがあったが会社人間には利益優先主義しかないのも問題である。だから東電の清水社長はコストカッタ-としてのしあがったことでもわかる。安全よりコストでありそれが会社なのである。事故が起きなければ問題なかったのである。
いづれにしろこれだけフクシマが浜通りが相馬が全国的ニュ-スなったことはない、全国的ニュ-スになるのは野馬追いくらいだった。毎日全国的ニュ-スとしてこの地域が報道されている。
そういうとき報道の醍醐味があることがわかった。マスコミも何百万の視聴者がいて社会を動かせるということで醍醐味があった。マスコミの操作によって社会を動かせるとなればやりがいがある。しかしそれが衰退してゆく今は過渡期にあることは間違いない、相馬郷土史研究ではアクセスは百くらいだったが今は400もある。これは一時的にしろこれだけ毎日あるとすると報道する方もやる気にもなる。今や個人レベルで報道の魅力にとりつかれる人がでてきている。
今ニュ-スで逆立ちしてオ-トバイに乗っているところをyoutubeに投稿して逮捕された。自作自演で自分を見せたいがためにそうした。前には放火したのを実況放送した女性も逮捕された。これはマスコミでもやらせとして常に操作して大衆の眼をひくためにやっていたのである。それが個人レベルでやるようになったのである。そして広告もペ-ジごとに出されるとそのペ-ジはいつまでも消えないのだ。キャッシュとしても残りそこからアクセスされると効果的である。ヤマハの電動バイクについて詳しく書けばそのペ-ジはいつまでも残りアクセスされている。それで困って有料でやっているからやめるように言っているが通じていないのでまた交渉である。一見インタ-ネットの広告は有効でないようでもあるペ-ジはいつまでも消えないしそこにアクセスがつづいて関連があれば効果的だとなる。インタ-ネットは新聞やテレビのようにその日その日で消えるメデアではないのである。情報が蓄積されて無限に増大していてアクセスできることが違っているのだ。