2011年08月20日

ひまわり(写真は万人の芸術に-写生俳句には必須)


ひまわり(写真は万人の芸術に-写生俳句には必須)

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ひまわりに囲まれ小菊群れ咲きぬ


白百合や苔むす岩のしっとりと


デジカメと俳句が一体化する。デジカメでとったものからさらにイメ-ジ化される。写真が見えないもの見せる。このひまわりも加工して付け加えた。でももっとうまくやれば本当の風景のように見る人がいるかもしれない,今はそういう合成した写真を本物と見ている人がかなりいる。
それほど写真の技術が発達したのである。素人でもできるくらいだからプロになればさらに容易にできる。


他人の庭をとったものだけと前の老木の感じを出しているものを写真でみてもう一度とった。肉眼ではこの木を見ていなかったしもう一つの木も見ていなかった。他人の庭だからゆっくりは見ていられない、しかしこの庭は意外とよくできているなと思った。木の配置もいいし磐もいい、そこに白百合が咲いていた。これは俳句だけではわからない、文字だけではわからない、写真がなければ鑑賞できない、俳句より写真の方が芸術化している。俳句は単にそえただけにすぎない、でもいい写真が山ほどあっても他人の写真をみて俳句を作れないのはなぜか?
やはり実際に見ることと写真は違っている。大きな山などはとても写真では実感できない、庭などは狭い空間だから写真でも実感しやすいことはある。


前は茶室だなどと狭い細い庭を作ってもらった。その茶室は介護の部屋になってしまった。茶室などと言うのは贅沢であったことは確かである。ただ風流を楽しまない人はやはり殺伐としているのだ。人間として根本的に何か欠けている。やはり人間金勘定ばかりしているのはおかしいのである。そういう人が多いのは残念である。

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