2006年03月16日
春満月(認知症は地域がいやしの場に・・・・)
春満月正気の時や愛の満つ
広瀬川せせらぐ音や芽吹きかな
春日さし松の幹太し故郷に看護の日々や病いやさむ
仙台に行き10万のパソコン買った。ウィルスにられたからパソコンを初期化したりして元に戻す必要がある。その前に新しいパソコンで主要なことはやれるようにしている。クロ−ズアップ現代でウィニ−でパソコンがウィルスの被害にあい個人情報がもちだされない方法を紹介していた。ウィニ−をやるときは個人情報などを置かずウィニ−専用として使う、他は別なパソコンにする。これなどはいい方法でありパソコンを二台持ち使い分けるのがいい方法である。パソコン自体は今は安いからそれができるのだ。
認知症でも正気の時は本当に正気であり母親だったら息子、娘への愛がそそがれる。まだらボケはまだそうした正常だった頃にもどったように見えるのだ。だから春満月のように母の愛ある姿にもどったような感じになる。しかしまた一転してやっぱりボケて馬鹿になっている。
青葉城恋歌では広瀬川が歌われたがあの詩も良かったのである。広瀬川はせせらぐ浅瀬が多いからだ。瀬音ゆかしき杜(もり)の都・・・仙台に広瀬川があることはやはりかなりの潤いをもたせているのだ。その土地にあった芸術を創造するとそれはその土地と結びつき長く生きるものとなる。青葉城恋歌はその土地の人が仙台に住んでいる人が作ったことに意義があったのだ。わかりやすい音楽だったことで余計親しまれたのである。その土地には村でも町でも市でもなにかしら特徴があるしあるべきである。それを見いだすのが芸術でもある。
南相馬市の鹿島区の右田浜の松原にはいい松があるのだ。幹が太い松がある。景観的には火力発電所でそこなわれたがあそこの松にはいい松がある。その土地にはなんらか必ずいいものがある。それは自然だけではなく人間が作り出すものでもある。ボケの問題にしてもその地域で受け入れられるような市町村だったとしたらそたはあたたかい地域となる。いづれにしろ介護というのが高齢化社会では大きな深刻なテ−マになることは間違いないのだ。老人はその土地と一体化して生きてきた人が多いからその土地から切り離されることは精神が不安定になるしとくにボケになったら特にそうなるから施設に隔離したりすると症状が悪化するというのがわかるのだ。
posted by 天華 at 22:31| Comment(0)
| 日々の感想(今日の俳句短歌と詩)
この記事へのコメント
コメントを書く