牛肉はそんなに食べる必要があるのか?
(食生活は文化の根元)
魏志倭人伝には、「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とありそもそも日本人は牧畜民族と違って肉食はあまりしていない民族であり文化だった。縄文時代でも貝塚で発見されるのはまさに貝であり入江や浦や干潟や遠浅の海で貝を一番とって暮らしていたのである。日本はそもそも海の恵みで暮らしていた。今回の津浪でわかったことは本当に興味深いものだった。
宮城県から福島県の海側は深く海が入り込んでいた。そして縄文時代に海だった所がわかった結果、その海沿いに貝塚があったし昔の街道もまた津浪をさけるような所に道ができていた不思議があった。そしてこの貝塚がある地点は縄文人も住みやすい場所だったというのもうなづける。宮城県の松島辺りでもそうである。貝塚が多いのも地形的にわかる。縄文時代からあの辺は住みやすかったのである。
日本人の暮らしは食生活は海の恵みから成り立っていた。昆布とか若布とか海苔は外国では食べない、韓国で海苔を生産したのは日本をまねて作った。韓国は一時モンゴルに支配されたりしたから肉料理が基にしている。肉の料理がうまいのはそうした歴史的伝統があったからだ。中国と韓国に明かに遊牧民の文化が根付いていた。相馬氏の氏神の妙見信仰も北斗七星だから方向を見るものであり遊牧民にとっては移動するのに方向が一番大事だから自然とそうなった。世界最古の天文台が韓国にあるし中国にしても羅針盤を発明したのは方向を知ることが不可欠だったからである。中国の最初の国、秦の始皇帝は中国史初の皇帝であったが、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てたる)。これが秦始皇帝陵である。1974年に地元の住民により発見された。また兵馬俑坑はこの陵を取り巻くように配置されており、その規模は2万m2余におよぶ。西安(長安)は西域と接して遊牧民の国であり遊牧民が最初の国家を作った。
これはインドでも同じでありそれでイスラム教が古来のヒンズ-教と混合してしあるのだ。 そこに文化的重層化された大国の厚みがある。
日本の国は島国でありそうした重層的文化の厚みはない、でも日本文明が独自にあったというときそれなりの世界的に独自の文明を作っていた。特に食文化は文化の基本なのである。
cultureは耕すから来ているからその土地と密接に結びついたものとして文化がある。土地によって食するもの料理が違ってくるのは当然だった。江戸時代に旅行したらそうなっていた。文化は風土によって作られるというとき最近の原発事故でもヨウ素は日本人は海草類から十分にとっているからチェルノブエリのように甲状腺ガンにはならないだろうというとき何か科学的なことに無知でも納得する。風土の影響が文化の影響がその土地の影響がこういうところにもあった。放射能汚染で救われたのは浜通りでは海に大量に放射性物資が流れて意外と汚染度が低くかったことである。チェルノブエリでは大陸だから全部の放射性物資が大地に降りつもったのである。何事文化の相違は今でもある。そういう文化の相違をないがしろにして国造りをするとき自然からのその国の神からの復讐を受ける。こんなに地震や津浪が多い国に原発を作ることもいかに危険なものかわかっていたことである。風土あったものを探求すべきだった。
食生活にしても明治維新後に奈良時代のように選別することなく何でもとり入れた。風土にあったものでなくても古来の文化にあわないものでもとり入れた。それはあらゆる面にわたっている。そうした選別なしの西欧化の弊害が今生じている。牛肉だって牛乳は必要でもそんなに食べる必要があるのか?となると疑問である。自分は食べないから牛肉に関しては困らない。飯館村で牛と別れる牛に生かされたきたとか言って泣いて村を出た人がいる。でも肉牛だったらいづれ肉にするのだからそれも矛盾していると思った。なぜこんなに日本人は何でも食うようになったのか?その貪欲さに驚く、これは日本だけではないグロ-バルに起こったことである。コカコ-ラとかが世界に普及したのはアメリカ企業のグロ-バル戦略でそうなったのであり世界の食生活を破壊してそうした一様化した食品も売れるからだ。肉食にコ-ラは向いていたことはある。日本人の食生活には向いていたとはいえない、そもそも資本主義は宣伝であれ人間の欲望を刺激して拡大化させる。資本主義にとっては会社にとっては本当に必要なものでなくても買ってもらわないと困るからそうなる。つまり牛肉でも実は牛肉を食べる必要がそれほどないにしろ売る方にとって死活問題になる。牛肉はいらない、コカコ-ラはいらないと言われることは生産者にとって死活問題になるからそうなる。
薬だってやたら宣伝して売り込もうとする、そもそも薬なんか宣伝して売り込むものではない、病気になれば誰でも求めるからだ。でも宣伝によって買わされることが多い。薬屋と医者とか病人がふえればふえれほど商売になるからわざわざ病気にしているのだという人もいるのもそのためである。病気もすべふてではないにしろ故意に作られている面もあるのだ。そういうことが現代には多すぎる。電気だって電気なくなったら脅迫される。それは電気をみんながそれほど必要しなくても電気を生産する方にとって電気を使ってもらわないと困るからそう言う。だから現代は本当に必要なものを生産するより無駄なものを生産しすぎるのである。戦前でも卵も食べられなかった時代からすると食生活は今は貧乏でもあらゆるものを食べている。だからそんなに食べる必要があるのかという疑問がある。そうして肉食というのは倫理的に罪悪感を感じるものでありさらに無駄に生命を殺すことは抵抗を感じる。だからこそ自然から神から口蹄疫とか放射能はまた別にしても牛肉が汚染されて食べられない、殺してしまうということは何か自然からの神からの警告であった。津浪と地震で原発も破壊されたのも神からの自然からの日本人への警告だった。
その風土に見合った文化を作るのがその国の神から与えられた使命なのである。それを無視するとウィルスの蔓延とか自然災害とかそういうもので国土は傷つけられ復讐を受ける。
確かにイギリス人の食糧は牛肉である
と認めなければなるまい
イギリス人は戦争愛していると
それはあらゆる享楽と同じ
彼らの大好きな気晴らしなのだ
クレタ島の人々もそうだった
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ
バイロン(ドン、ジュアン)
日本人が中国から奈良時代に宦官の制度を入れなかった。外国のものがすべでいいものでないし風土や文化にあわないものは入れるべきではなかった。それが明治時代に無差別に入れてしまったのである。その弊害は今になってもうとりかえしつかないものとなっている。それはあらゆる所に及びもはや日本は日本なのか日本は日本人なのか?日本人とは何なのだとかまでなっている。日本人はもはや日本人ではない、日本に住んでアメリカ人や中国人やヨ-ロッパ人なってしまった。日本人が日本人たる所以が見出せなくなっているのだ。その根幹に食文化の変化があったことにまちがいないのだ。
牛肉と闘争、この二つとも
イギリス人から学んだのだ
明治時代以後の日本人が好戦的になったことや拝金主義になったことや日本人的モラルの喪失もすべてヨ-ロッパであれアメリカであれあらゆるものを無差別に無分別にとり入れたためなのである。
参考にした本
ベジタリアンの文化誌(鶴田静)
文章は明かにインタ-ネットでもそうだがいろいろなものから編集することである。その中には自分の体験もあり他人の体験もあり本からもある。特に他人の引用した詩や短歌や俳句が役に立つ、その人の特別の関心からそうしたものに興味をもつから引用でも違っているのだ。そういうことを簡単に出せるのがインタ-ネットなのである。
放射能汚染より怖い肉牛の飼育
http://kokoroniseiun.seesaa.net/archives/20110730-1.html
やっぱ今の家畜は病気を作っている、人間の欲望で家畜は病気にされ人間も病気にされるのは当然だとなる
自分の意見と共通している