2006年03月15日

日永の街(認知症の人をあづかる場がない)

春満月正気の時や認知症

春満月走る電車に光り増す

春の日やショ−ウィンドウに変わる品
  
街中に日永の光人の波介護を離れしばし歩みぬ


認知症はアルツハイマ−と脳血管性ではかなり違ったものだった。症状はにていてもかなり違っている。脳血管性は高血圧とか血管がつまるとか血流が悪くなり起きる。とするとこれは高血圧とかと深く関係してなる。どんな人がなるというのではなく高血圧の人はなりやすいから注意しろとなる。アルツハイマ−は集団で治療することがいいが脳血管性は個別的に対応した方がいいとあるのもなるほどと思った。個別的に対応したから脳血管性の認知症は効果あったのかもしれない、この脳血管性のボケはまだらボケでありどこまでが異常で正気なのかわかりにくいのだ。精神病とかこの認知症には誤解が多いのだ。知らない人は気味悪いとかなるのはらい病と同じである。実際に身近に接しないとわかりにくいものだからだ。この認知症に接してなぜ正気なのにかなり高度なことも理解できるのに非常に簡単なことが理解できない不思議である。銀行から自分で金を落とせないという不思議である。通帳とかハンコをもっていてもなくしてしまったり金をおろしたことさえ忘れてしまうからそうなる。知能が確かに低下しているのだがニュ−スを一緒にみていてもてもかなりむずかしいことを理解しているから話が通じている。それなのに簡単なことがわからない不思議がある。

今介護で自分の一番の問題は留守にできない、認知症の人は一人でいると不安になるから一人で留守番できないのである。だからあづかってくれるところが必要でありそれが認知症をかかえた家族の一番の問題であることがわかった。それで不利なのがこんな一万の町では託老所とか簡単に民間で金を払いあづかってくれるところがないことなのだ。あづけるには看護の認定が必要だとかこれもかなりめんどうで時間がかかる。昨日はやっと親戚の人が来て相手してくれたのでひさしぶりに仙台に行くことができた。

ヨドバシカメラで10万のパソコンを注文した。ウィルスでダメ−ジを受けたパソコンは初期化する他使えない、そのためにもう一台必要になったのだ。手頃なものがあったので買ったのである。これも明日とりにいくのでめんどうになる。なんとか一日でも二日でもあづかってもらうとそれなりに自分の時間を確保して自由を楽しむことができるがこれが今自分にとって一番むずかしい問題となっているのだ。
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