2011年07月13日

暑い一日(無人化する村の不思議)




涼しさや夜明けに鳴きぬ鳥の声


清しきや夏の夜明けの鳥の声


夏の夕仮設にひびく笑え声


久しくも村にありにし石なれや残りて待ちぬ帰り来る日を


青々と草の生えにき夕べなお雲雀の鳴きてひびきけるかな


藪甘草草むら深く一輪のここに咲きにつ故郷に住む

蛙鳴く声のともしく故郷を離れし人のなお帰らじも


水田は土の露に草生えて雲雀は鳴けど鷺は来たらじ


耕さじ畑を見つつ農夫かな用もなきしをあわれなるかな


海の方には松原がなくなり木蔭がなくなった。この辺りは木蔭が少ない、今日は暑いから陽差しが強く外に出れない、これも困ったものである。海の方は風が涼しいからいい、木蔭がないと外に出にくいのだ。 飯館村から出てアパ-トに住んでいる人のことをテレビで放送していた。
飯館村は家も広いし一軒一軒が離れて暮らしている。森につつまれて前は広々とした田畑である。そういう所に住んだ人が都会のアパ-ト暮らしはなかなかなじみにくい、アパ-トとかは圧迫感がある。日本の住まいはウサギ小屋と言われたけど狭苦しい。飯館は広々とした所で森につつまれて家があった。 標高も高い高原だから夏でも涼しい、今年も暑いが去年のような暑さにはならないみたいだ。浜通りは海から風がふくから涼しいのだ。なぜ危険な海側に住んだのかというとやはり夏が暑い日本では涼しいくて気持ちがいいからである。人は気持ちのいい所に住みたいのだ。千年に一度来るような津浪より住みやすい場所に住む。


テレビに映った家族は大家族であり三世帯で住んでいるとか今でも田舎ではそういう家がある。家が広いからそれができる。しかし一方でそういう家族はめずらしいことも今では確かである。大原の農家は息子夫婦は街に出て大きな古い家が残されて一人で住んでいた。あそこも廃屋になってしまうのか?酪農でも農家でもたいがい50以上でありその先継続してゆけるのかどうかという人が多い。跡継ぎもなかなかいない、だからこんなふうになると廃業する人が多くなるのだ。


いづれにしろ無人化してしまう村というのも不思議である。そこに待っているのは何か?太古からあった樹や石である。それらも村とともにあったから人間味帯びたものとなっているのだ。

今日は暑くて熱中症のようになった。今年はなかなかク-ラ-を使えないだろう。海の方に行けばいいのだが木蔭もなく休む場所もない、やはり海には松林が必要なのだ。


仮設から笑え声がひびいた。普通の家だったら聞こえないけどそれだけ声がひびく。隣にもひびくからつつぬけになってしまう。長屋にはプライバシ-がなかった。ただ親密な関係になった。両方がうまくいくことはこの世の中ない、夏は朝が涼しいから気分がいい、昼間は暑くてだめだ。ここはまだ30度だから何とかク-ラ-なしでたえられるか、頭が痛くなった。汗をかくというのは確かだろう。陽差しが強いから外にでなかった。

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