2011年07月11日

雲の峰(湿地帯化する田んぼ)

cloudggggggg23232.jpg


glassss123.jpg

ぐんぐんと高さをましぬ雲の峰

雄大に人はばからず雲の峰


雲の峰頂点極め崩るかな


夏雲雀草青々と夕暮れぬ


津浪原発事故は余りにも大きな変化だった。江戸時代でも飢饉があっても田植えしない時などなかった。なぜなら相馬藩内で米作っていなかったらみんな飢死する。他の藩から援助がもらえない時代である。こんな状態で放置されているのは他から米が入ってくるからだ。米は余っているということもある。だから危機感かあまりない、農家の人も補償をなんとかもらうおうとしている。そうでなければこんなことをしていられないだろう、放射能があるからといっても飢饉で死ぬよりはいいと米を作っていた。米がそれだけ命を維持するものとして直結していないのである。

田んぼが青々として草が繁っているのも不思議である。草原化は日本ではしない、雨がふるから湿地帯化してゆく、でも「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句の夏草とはこうした夏草だったのか?広い範囲で夏草が繁っていなければこうした句は作れない、広い戦場の跡はただ夏草か繁っていた。江戸時代だったらそういうまだ開墾されていない土地がありそこに夏草が広々としげっていた。そうでなければこうした句はできない、夏草というと茂みのようなものを今では想像する。平地で広々と夏草がしげっているとこは本州では想像しにくいのだ。


キノコ雲のような雲の峰は夕べに空に高くなった。雲の峰は一つの形を作ると崩れてゆく、いつまでも同じ形をしていないからシャッタ-チャンスは短い、これは全く原爆のキノコ雲だった。
自然は雄大である。人は人により萎縮させられる。人間の組織でも何でも人間が人間を監視して小さくこじんまりと収めようとする。それが社会というものである。自然にはそういうものはない、実に雄大であり何か遠慮するはばかるものはない、それは津浪でもそうだった。あれほど恐ろしい自然の力は千年に一度である。まだ暑いと言っても30度くらいだから去年よりはいい、浜通りは海の風が涼しいから住みやすい、中通りは蒸し風呂になる。

東北も梅雨が明けた,今年は早い、夏本番になった

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/46691190
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック