2011年07月09日

大和魂は死んではいなかった-津浪原発事故で蘇る日本の歴史


大和魂は死んではいなかった-津浪原発事故で蘇る日本の歴史
(戊辰戦争「幻の東北列藩・プロイセン連合」を見て-続編)

http://musubu.sblo.jp/article/46596711.html

これの続きだけと会津藩はプロイセンと結びついて北海道を売り渡すとなると攘夷派からは相当な攻撃を受ける。今でも右派からは売国奴となる。北方四島でさえロシアともめていることでもわかる。もちろん時代が違うといえばそれまでだが今の時点からみて歴史は判定される。だから歴史の判断は百年後とかでないと見えてこない場合がある。百年後たってそのことはそういうことだったのかと霧が晴れるように見えてくることがある。その一つがこの事実だったのである。

これがどういうことかというと明治維新は中国のように日本が外国勢力、欧米列強に分断される危機だったのである。内乱状態だった。そこにつけこまれて日本は分断され植民地化される危機だった。だから日本は内戦をやめてなんとか日本を統一しようとして勤皇派などが生まれた。日本統一のシンボルとして天皇は危機の時いつでも出てくる。大東亜戦争でもそうだった。
外国勢力を知らずして日本の歴史も理解できないものになっている。その重要な事実の一つがプロイセンと連合を企み北海道を売り渡そうとした会津藩と庄内藩があった。ぎりぎりに追い詰められてただ自分たちの藩を守らねばならないという危機のためにそうなった。プロイセンにすがったのである。


日本の歴史や政治をそうして外国勢力によって決められてゆくというのは百済と新羅の対立が奈良時代に日本にもちこまれたとかあった。その時韓国が技術的に優れたものをもっていたからである。技術力は兵器力でもあった。それが明治維新後は常に日本の歴史の背後にでてくる。武器商人が暗躍するのは内戦とかのときでありそれで一儲けする。薩摩についたのはイギリスであり武器商人がそこでもうける。そして現代ではロスチャイルドやロックフッラ-が陰ですべてあやつっているという陰謀史観となる。日本人はただこうしたアメリカの大金持ちや財閥や軍事勢力に支配され動いているアメリカの植民地にすぎないとなる。そういう面から歴史を見るのは偏ったものとはいえない、その一つが会津藩のプロイセンとの連合計画だったのである。

明治維新も絶えず欧米列強との連携があって成されている。ただその中で日本独自の道を、植民地化されない道を進むことができたのは日本は中国とも違う、外国人も明治維新を高く評価している。日本人はそういう歴史をもているから一面恐れられている。アメリカでも実際は日本をまだ恐れている。それは太平洋戦争のトラウマがある。硫黄島の戦いや怖いことを経験しているのだ。原爆も日本をなんとか徹底的にうくのめすためにあえて投下した。アメリカの人道主義は全くの嘘ばっちであり偽善である。アメリカは金を崇拝して戦争屋であり武器商人としてもうける国である。


新ベンチャ-革命

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/archive/2011/07/2


ここで現場の技術者が書いているから興味深かった。一連のものとして読む価値がある。日本の原発事故で現場に残った五十人がいたことを称賛している。その裏返しはまだ日本人は戦争のように自分を犠牲にしてまで仕事をする、尽くす人がいたということである。それがアメリカは特攻隊の恐怖のように称賛すると共に恐れたのである。だいたい日本はすでにそうしたものはなくただ功利的に動くだけの会社人間になっているとみていた。確かに日本人自体も戦争のことなどを忘れ否定するようになっている。金もうけだけに金をすべとしてアメリカのように限りない欲望の追求だけになっているというのも事実だった。ただ日本の魂が死んだのかというとそうでもなかった。それが何とか日本を救おうと決死隊が出てきたことにアメリカは賛嘆するとともに恐怖したのである。

日本人の歴史的メンタリティというかそういうものは喪失したと思ったけど意外とそういうメンタリティは変わっていない、大和魂などというとそんなもの何の意味があるのかとなっていた。一部の右翼のなれのはてのような意味のないものとして見ていた。しかしそうではない、日本人のメンタリティは変わらない面があった。特攻精神が残っていた。最後に日本人は日本のために命をすてる、命を惜しいと思わない、そういうメンタリティは変わらなかったのだ。日本は大和魂で一丸になるメンタリティは変わらない面があったのだ。それは理屈ではなく本能的に日本人なら誰でももっているものだった。


ただ今は外国人が日本に入ってきて本当にわけのわからない雑種になりつつある。在日勢力もそうだし中国人も増えるとかそういういろいろな外国勢力が日本人のメンタリティを破壊しつつある。だから今新たな勤皇派が出現してくるかもしれないしその反勢力もでてくる。つまり明治維新の混乱状態が思想的にも現実の政治でも起きてくる。それぞれがどういうふうに動くかは明治維新の混乱を見ればわかる。その一つが今回の会津がプロイセンと組んで北海道をうりわたしてでも自分たちの藩を守ろうとしたことである。それはロ-カルヒロイズムでありナショナルヒロイズムではない、今起きていることはやはりナショナルヒロイズムが要求されているのだ。
だから経済の合理性の論理だけで会社の利益追求だけで動いていいのか?日本は電気がないから大会社は外国に出るという、それは日本を捨てることになる。それでいいのか?会社にとって日本にいても得はないとただ利益だけで判断して日本を見捨てる。戦争中だったら国賊となったろう。今は東電に残った五十人のように日本の危機であり日本滅亡になるかもしれない、そういうとき経済合理性だけで行動していいのかとなる。そんな褊狭なナショナリズムなど今にはあわないというのも意見である。それも否定はできない、それは明治維新では攘夷派に撃たれることになる。


今回の津浪と原発事故は単なる自然災害でもない、事故でもない、日本の危機としてとえらる必要がある。だから大和魂の再現の国粋派が台頭しても不思議ではない、結局歴史はくりかえす、明治維新の動乱と太平洋戦争が蘇る。「大和魂」が蘇る。志願する特攻隊が現れる。
そういう動乱の時代である。政治が混乱するのもやむを得ない、明治維新でも混乱を極めたからだ。未だになぜそうなったのかも解明されていないのである。


 

posted by 老鶯 at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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