2011年07月04日

白い夾竹桃(相馬市の病院へ)



夾竹桃(相馬市の病院へ)

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老鶯の藪に鳴くかな城下町

相馬なる梅雨の日あわれ潜り石


夾竹桃の白き花散る昼下がり相馬の街歩み帰りぬ


夾竹桃の白き花散る城下町日傘をさして歩む女かな


昼下がり相馬の街や古き橋渡りて帰りぬ行く人まれに


塩地蔵いつもここにしありにける何を語るや我が帰るかな


古風なるホテルのありや相馬なる街角入りて夏の昼下がり

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正午を少し過ぎた昼下がりという言葉には、どこかけだるい雰囲気がただよいます。


相馬と原町はイメ-ジが相当違っている。原町は明治以降近代化して発展した街のイメ-ジがある。相馬市はもともと城下町としてあり古風な感じになる。市街もそんなに広がっていなかった。田町とか曲田となるのはそこが田であった所である。曲田という住所のふたばやホテルに
欧州レストランという所で食事した。駅前と下りからちょっと入った所のホテルでありわかりにくい、旅したからホテルはほかりにくいのだ。安ホテルばかり探していた旅だった。でも安いホテルを探すのは大変であり結果的には駅前通りのビジネスホテルに泊まることになる。ただちょっと入った所になると意外と他から来た人にはわからないから泊まりにくいということがある。相馬にも結構ホテルがあることがわかった。あの辺はもともと田町とか曲田とか田のことである。つまりいかに江戸時代の城下町といっても城の回りにのみ家がありその他は田だった。ほとんど回りは田だった。相馬総合病院の近くの新沼なども沼でありあそこまで津浪が来ていた。病院のすぐ近くだった。そもそも明治維新後に城のあったところは近代化が遅れ発展していないのだ。会津でも城のある所は商売しにくいからと喜多方が商売で発展した。喜多方とは北方だった。会津の北だから喜多方になった。相馬の南だから南相馬市になったと同じである。南相馬市立病院に一か月入院したときあそこは海まで見える眺めのいいところだった。ちょうど大原の山の方も見えて同じ病室に大原の人が入院していたのだ。

 


道を鍵形に曲げたり袋小路を設けるなどすることで、城への到達距離を延長した・・・
町の北と南の入口には土手を築いて「枡形」と呼ばれる城下町特有の道路形態をつくり、有事に備えた(相馬市中野)


相馬市は確かに城下町の雰囲気があるが他の人は城もないのだからわかりにくい、要するに六万石だから狭いのである。何故なら田町と曲
田でもそこはもともと田だった。城の回りにわずかに武家屋敷があり宇田川を渡り職人町とか商人町があった。現在の街の十分の一くらいなのである。これは他でもそうであり今からふりかえると大きく思えるから不思議である。ただ仙台辺りだと三百人町とか仙台駅の近くにあり同数の足軽が住んでいたことに由来とかある。

つまりそれだけ広い範囲が城下町だったとなる。その規模は十倍とか違っている。当然60万石となればそうなる。そして白石市に足軽まんじゅうというのが名物になっているのも伊達の行列は派手であり伊達物という言葉が生まれたように大人数を従えた派手な行列だった。実際は仙台藩は豪商などは少なく貧乏だった。威勢を張った行列だったのである。力がないからこそ貧乏だからこそ派手で力を誇示しようとした無理した結果だったというのはそしなのだろう。
そもそも相馬には足軽とかいたのかというと郷士がいてもそういう侍についている専門の従者はそんなにいなかった。郷士として農業をしていたのである。それだけ雇える経済力もなかった。
城下町の名残としては町の区画があり枡形とか路地や小路が多いとういことは細い路地が多く日陰になりやすいのが城下町であり何か日傘をさして歩くのがにあっている。


潜り石は六号線はバイパスの方向になっている。この地名は面白い、石には興味があるからこの地名の起こりが気になる。潜り石はくぐるであり石をくぐるという所は結構ある。他にもこの地名はある。

病院は混んでいた、50人以上来ていた。南相馬市から移っている人でも増えた。手術は三か月後だから余裕がある。悪性ではなかったらしい、癌はなかった。まあこれが死につながるような病気ではない、でも60代でも毎日新聞の死亡欄を見ていると一人は死んでいる。たいがい癌なのである。すでに10人一人は死んでいる。同教生のクラスが40人として4人は60代で死んでいる。数としては少ないようでも10人一人死ぬことは結構多い感じもするのだ。70代になると倍は死んでいる。


夾竹桃は西表島のジャングルで自生しているのを見た。熱帯の花だった。やはり白い花だった。これも相馬市にあっていた。

欧州レストランのランチの刺身定食は結構いい、お得である。自分はまともな食事していないから外食の方がいい、食事用意するだけで手間なのである。用意して洗ったりしていたら手間なのだ。プログ書くだけでも時間がかかる。なんとか書けているのはプログだからちょっとの暇でなんとか書けるからである。小説みたくなると書けない、俳句短歌だったら仕事の暇にまだ書けるのである。

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奥州レストランで売っていた震災孤児への寄付のための缶のバッジである。
これはどこでも売っていた。相馬市とかで震災孤児がどれくらい出たのだろうか?
結構寄附金は集った、これも一つのアイデアである。値段はない、千円で買った。
寄附金だから金のある人はそれ相応に出すというのが寄附金である。でも安く買うとまずい感じもした。それしか出さないのかと
見られてしまうのも嫌になるというのも問題だった。寄附金には常に何らかの問題がまとわりついているのだ。

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