2011年07月01日

夏鶯(原町へ)

 
深々と真昼木陰や一軒家


原町の街中に鳴く夏鶯


狸の子道に出てたり夏の夕


影深き一本杉や親しかな我がまたよりぬ故郷の道


いつの間も、神さびけるか、香具山の、桙(ほこ)杉の本(もと)に、苔生すまでに

田舎に離れた一軒家あるけどそれは贅沢なことである。一軒家は存在感がある。そんな家は田舎では普通にあるというけど都会では家はひしめきあっている。そういう中で木立に囲まれて影深い家はいかにも夏でも涼しい、ク-ラ-なんかもともといらないように風通しもいい。電気不足というとき都会では30度以上になると実際はそれに加えて5度くらいプラスして暑くなっている。人でも家でも車でも暑くなる。だから電気がいくちあってもたりないのである。ただ田舎でも皮肉なことに電気は都会以上に使っている。車も一人一台で都会より使っているからエネルギ-を効率的に使っているわけではない、ともかく回りに家のないような一軒家に住むことは相当な贅沢なのである。


原町というとレストランでもチェ-ン店でもやっていない、ふえたにしてもまだやっていない所も多い。原町は経済的にかなり縮小しただろう。街中に鶯が鳴いていたからそういう点では田舎である。帰り小島田辺りの六号線からはずれた道に狸がでてきた。狸の子だったのか小さかった。兎は前もみかけたけど狸が見かけない、なぜなら狸は夜行性だから薄暗くならないと出てこない、今日は薄暗くなっていたから出てきていた。田がなくなり雑草が生えて元の原野みたくなって動物が住みやすくなるということもある。白鷺などは水田と一体だったからいなくなった。

でも他の動物はふえるかもしれない,人がいなくなったら確実にふえる。野生の動物は人間を一番恐れている。その人がいなくなると動物天国になってしまうかもしれない、なぜならチェルノブエリでは狼までもどってきて野生の天国になった。飯館辺りでは猪が増えるというのも本当だろう。南相馬市で猪の駆除をしているという。これも金をかかってこまっているとか、田んぼ畑も作らないけど被害があるという。大原辺りにも猪がでていたと何度も聞いた。猪は自分は見たことない、猿はよくみかけるけど猪は見ない、猪はそんなに見えるものなのか?猪の肉はうまいという、飯館には猪の肉を出す料理店があった。そこの主人が猪が飯館村には増える。人がいなくなったら猪の天国になるのか?飯館はどうしても放射線量からすると二年くらいで帰れるとは思えない、そのうち元の森や原野にもどる。森が多かったから原始の森林にもどってしまうのだろうか?ともかく今この辺で起きていることはありえないことだし経験していないことだから何が起きるかわからない、自然でも人間でもそうである。


一本杉より一本松はよくみかける。今の感覚では神さびた・・と自然を見る人はない、それだけ人間は自然から離れて暮らすようになった。自然を神さびたものとして見ることがない、むしろ原発のようなも科学を神のようにみている。科学の力を崇拝している。そういう現代の生活が
原発事故を必然的に生み出したのである。科学は人間の作り出したものでありそれが万能だという意識を持つようになった。それが今回の事故につながった。自然と結びついた第一次産業を余りにも軽んじたためでもある。だから今度東京辺りが大地震になり食料も枯渇して東北に助けを求める。そういうことがすでに予期されていることを想像できた。近いうちに東京に大地震を襲うことは間違いないのだから、その観点からも今回の東北の大災害を見ておく必要があるのだ。つまり他人事にはならないのだ。その時東北のありがたみを身をもってしることになる。

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