2011年06月29日

津浪で八沢浦の奥に寄せた浦浪 (今危機のとき日本人は万葉集を読み直すべき)


津浪で八沢浦の奥に寄せた浦浪
(今危機のとき日本人は万葉集を読み直すべき)

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朝日がさしてきらきら光りうよせてきた浦波

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今回の津浪で一番驚いたのは八沢浦だった。相当に奥まで水がたぷたぷと満たした。あれだけの入江であり浦だった。前にも想像図で書いていたけどそれを現実に見るとは思わなかった。よく夢で鹿島小学校辺りまで浪が来るのを見た。というのはあそこまであまり家がないから海の水が寄せてくる。それがちょうど鹿島小学校前だったのである。その通りに津浪が押し寄せてきたことには本当に驚いた。現実となったことに驚いた。夢で見るのと現実で見るのは余りにも違っていた。それは奇跡のようだった。津浪の被害で多くの人が死んだが自然現象としてこれだけのものを見れることはあと千年はないかもしれない、千年に一度の巨大なスケ-ルの現象を見たのである。
そして奥の方に朝にきらきらと波が寄せていた。春の朝であり鶯が鳴いていた。浦波というのが入江にはたちそれは何ともやさしい穏やかなものなのである。いつもみる荒々しい太平洋の波ではない、瀬戸内海辺りには浦が多いからこうした波は普通に見るけど東北では見れない、それで不満だった。


浦浪の光りよせにき春の朝八沢浦の奥の岸辺に


八沢浦奥の岸辺に浦浪のよせて静かに春の夕暮



玉津島絶えぬ流れを汲む袖に昔をかけよ和歌の浦浪(九条良経)


八島国 百船人(ももふなひと)の 定めてし 敏馬(みぬめ)の浦は 朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る 白真砂(しらまなご) 清き浜辺は 往き還り 見れども飽かず(山部赤人)



浦浪が絶えず寄せている光景であるからこそこの歌ができた。浦浪にかけるのもやはり浦浪が日常的に見えるもの寄せているからなのだ。朝風に 浦波騒き 夕波に・・・というのもそうである。なぜこの浦浪にこだわるかというと実感としてこの辺では感じることができないからである。
それを今回の津浪で浦浪を一回だけだが現実に八沢浦に再現された驚きである。きらきらと浪が光り寄せて来たのを見たのは本当に奇跡的だった。それは残念ながら一回しか見ることができなかった。これは想像しても決して見られない光景だった。


ともかく今回の津浪は余りにも驚くべきものであり自然の驚異をまのあたりにした。この辺では相馬から双葉郡から久之浜とか故郷から離れて体育館などに避難した。これも信じられないことだった。故郷から切り離される大勢の人達を見た。故郷に住めなくなるという信じられないことが現実に起こった。そして今故郷に住むとはどういうことなのか、故郷を守るとはどういうことなのか?そういう根源的なことがこの辺で問われることになった。その時何を手本とするのか?
故郷とは何なのか?それは風土と一体となって生きた人間を基におくことである。そこに故郷があるのだ。万葉集はその風土と一体となり生きた日本人の魂を集大成したものであった。
日本人の原点がここにあった。故郷とというとき正に自然と人間が一体となった所が故郷でありそれを歌にして残したのが万葉集だった。だから万葉集は日本人の原点なのである。
故郷とは何かというとき東北という地をもう一度見直す、故郷を見直す作業が必要になっているのだ。その原点になるのが万葉集だったのである。


結局自分も万葉集を深く読んでいなかった。万葉集は単に恋だけの歌として見ると何か浅薄なものとなる。万葉集には奥深いものがある。日本の原点であり日本を再興させるような力あるものが秘められている。それは日本の風土と一体となったものだからである。それはもう生活が余りに変わったから失われた世界のことであるとあまり関心がなくなっている。それぞれの個人趣味で拾い読みして終わっている。でも万葉集はそれだけで終わっていいのかというとなる。

こういう日本人の危機の時、先人の残したものが蘇る。原発のような事故を起こして日本の清らかな風土をけがしたことは日本の神の怒りをかうとなる。日本文明を再興するには日本の風土を汚すようなものを作っていいのかとなる。根本的に日本文明を再構築するにはどうするかとなるとき、やはり万葉集を見直すということも大事である。万葉集は天地(あめつち)と一体となる歌である。それが今原発とかで全く日本の天地(あめつち)はけがされた。それはゆるしがたいことなのである。日本の風土がけがされ消えるとき日本も消えるのだ。原発がなくても日本の風土があれば日本は再興する。それが今福島県に課せられた課題なのである。今は福島県は受難の時である。しかし福島県から新しい未来の芽がでてくる、天地と一体となった新しい福島県の未来が生まれてくる。だから今もう一度万葉集を深く読み一体故郷とは何なのか心に刻む必要があるのだ。


津浪で死んだ家族の写真を並べて偲んでいる人があった。


太宰帥大伴の卿の京に上りたまへる後、沙弥満誓が卿に贈れる歌二首
真澄鏡(まそかがみ)見飽かぬ君に後れてや朝(あした)夕べに寂(さ)びつつ居らむ 0572


このうよな歌を読むとき何か慰められる。荘重に亡き人を偲ぶことができる。万葉集に真率な日本人の魂が宿っているのだ。文明化した人間にはない日本人の真率な魂がありそれが日本の風土ともにひびいているのである。

posted by 老鶯 at 00:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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