2011年06月17日

一方的なテレビなどの放送には何かの意図が (管首相バッシングの裏は・・)-(原発と双葉町の歴史)


一方的なテレビなどの放送には何かの意図が
(管首相バッシングの裏は・・)-(原発と双葉町の歴史)

●管首相パッシングは自公政権の原発の責任を隠すため?


今回の原発事故に対する報道を、ずっとTVで見ているが、自民党の
責任を追及する局は一局もない。
物凄い違和感を感じていた。
そして菅が浜岡停止・送発電分離・クリーンエネルギー転換を口にした途端、
参議院の西岡議長は発狂し、自民党は不信任を出し、小沢と鳩山が
それに便乗し、原発族の渡辺と前原は、犬猿の仲だった小沢に擦り寄り、
菅にお前の味方はいないよとアピールする。
なんという分かりやすい猿芝居。w
自公は、事故の原因が自分たちにあることが明らかになってしまうと焦った。
東電に飼われているマスコミと結託して、菅に全ての責任があるかのように
印象誘導した。小沢がそれに便乗した。
菅を擁護しているように見えるマスコミもいますが、重要なのは
反菅勢力のみを、繰り返し繰り返しTVに出し、好き勝手に喋らせることです。
そうすれば、徐々に庶民は、菅に原発事故の全ての責任があるかのように
洗脳されていきます。 擁護してるマスコミも、最後は「辞めた方がよい」と
やんわり寝返ります。
これが今回の不信任劇の正体です。
こんなミエミエの猿芝居を見抜けない人にも呆れます。


根元二郎−東京新聞の記事
http://nemoji.blog.ocn.ne.jp/ashita/2011/06/63_c101.html


菅を擁護しているように見えるマスコミもいますが重要なのは反菅勢力のみを、繰り返し繰り返しTVに出し、好き勝手に喋らせることです

テレビは知らずに洗脳されやすいメデアなんだよ、テレビは見ていて一方的になり受け身になってしまう。テレビに出されるのはテレビ会社の都合の良く編集できる人なんだよ
メデアのことを書いたけどメデアはそれだけ力をもっていた。インタ-ネットで発信することは自らもメデアになることである。だから今度は逆にテレビ局のように自分で編集することになる。
この作業は結構大変なことなんだよ、本は消えても編集者は残ると書いたが自分がやってみて書いたわけ、編集は創造的作業なんだよ、時間もかかる、いろいろな意見や主張や情報があるとしてそこからえり分けて自分なりのものに編集する、それはテレビ局でやっていることを個人でやるから大変なんだよ、だからこそみんなただ一方的に流され編集されたテレビの情報に洗脳される、楽しているから真実がわからないともいえる。インタ-ネットはえり分ける作業が大変なんだよ、そこが弱点なんだよ、そしてまだインタ-ネットのメデアは未熟なメデアである。社会の中で本当に活かされていない、だからまだマスメデアの力は大きい。


でもどうしてそんなに管首相がパッシングされるのか?そういう一方的になるとき日本人は本当に危険だなと思った。原発の安全神話が作られたのもそのためである。戦争のときも一方的になり反対意見はもはやゼロだった。検察は特高になって暴力的にとりしまる役になった。原発の安全神話も検察もかかわっていた。なぜ前の知事の佐藤栄佐久が原発をとめようとしたときやめさせられたのか、濡れ衣を着せられて検察によって失脚させられた。これも原発がからんでいたんだよ、原発の推進派はもともと自公にありその跡を継いだのが民主党だった。自公の責任も問われべきなんだよ、それは中曽根首相からはじまっていたことは歴史をたどればわかる。アメリカと一体化してすすめられた事業なんだよ、原発周辺は建設当時すごかったらしいよ,管首相はパッシングされてもしかたない人にしても余りに一方的だと何か裏があるんじゃないかとなる。日本人に民主主義が向かないのはみんな同一方向に同調しやすい民族性があるからだ。少数者を重んじない、少数者は全く無視される。原発の原因もみんな同調して推進一色になる。権力による情報操作にしてもやはり何か疑い別な見方や意見を言う人も排除してしまう。そういう民族性は民主主義は向かないのかと思う。新聞でも多数あるから今回東京新聞と京都新聞の記事が紹介されて読んで書いた。これなども新聞もインタ-ネットの中に入ってきたからこそ情報が多様化しているからこそできることである。マスメデアの中で判断するのとインタ-ネットのなかで判断することは違ったものになる。ただこの作業は手間がかかる。それで大衆向きではない。過渡期のメデアだからそうなっている。


●双葉町の歴史と原発


原発が元特攻隊の基地だったり、
原発誘致に至るまでの歴史には製塩業の衰退や、
その原因として林業の衰退もあったというのは
驚きでもありこの国の歴史の秘密のつながりを覗きみた気もしました。

そしてまたそこはアメリカの植民地でもあったのです
「敷地内には、プラントの製造を一括受注した米ゼネラル・エレクトリック社の家族が住む「GE村」が完成。小学校やテニスコートも設けられた。クリスマスやハロウィーンのパーティー。運動会が開かれ、町民と交流を深めた。」
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/06/post-bf50.html


双葉町のような辺鄙な場所にアメリカが入ってきたんだからその時町民も原発は凄いものだと思ったろう。その頃外人なんか来ない時代だから特にそう思ったろう。
歴史をたどれば多角的に原発を見ればいろいろなことがわかってくる、本当に原発は金のなる木だったんだよ,だから双葉町では食らいついたんだ、危険よりマネ-だった。アメリカの古い型のマ-ク1を買わせられたことも知らないし調べることもなかったろう。かえって原発景気に浮かれている町民が浮かんでくる、町民は原発を作って得意だったんだよ、何もないところに原発が来た!そこは浜岡でもそうだしそういうことが現実にはある。双葉町は極端だったんだな、

そこはアメリカの植民地でもあったのです

日本は以前としてアメリカの意向のままに動き植民地であり属国である。真に独立していないからである。アメリカのものを受け入れざるをえなかった福島第二原発は国産化したのが多く事故がなかったというのもそのためである。

ともかく不景気になっていたとき建築関係の人が小高に原発できれば景気良くなるよと盛んに言う人がいた。その人は津波と原発事故で原町区に避難してきた。どこでも底辺では金だからな今は・・・双葉町だけをとやかく言えない面はあるよ、福島県もそうなんだけど原発をできた背景にはそうした事情があったこともふりかえることが必要だ。


双葉町はもともと長塚村とかであった。新山には自分の父親が関係していた。葛尾(かつろう)村の小出谷やから丁稚として酒屋に勤めたんだよ、小出谷は小出屋であり出小屋のことだよ、平な所もない所で林業が唯一の暮らしの糧だったみたいだ。電気も来るのも遅かった。そんなところだから貧しい、そもそも戦前はみんな貧しい、そうして今の富沢酒店の近くの酒屋に勤めたんだけど暖簾分けして鹿島の方に移った。その話しを何度も聞いているから双葉町は因縁がそれなりにある場所だった。小出谷が実家になるがそこから浪江に下りてきた人の一人は若くして死んだ。原因はわからない、原発に勤めていたんだよ、浪江の親戚もそうだった。原発が原因ではない、理由はわからない、でも原発が関係していたんだ、ともかく戦前は本当にみんな今からすると極貧だよ、卵すら食べていない、自分の父親は最後にさしみ食えるようになったら食いたくないと言って死んだ、日本が豊になりはじめたとき死んだだんだよ、テレビも入ったときだったが病気でそうなった。そんな話はいくらでもあるよ、日本はともかく貧乏だったんだよ、出稼ぎの時代もあった。でも別に原発をもってこなくてもその頃高度成長だったんだから他の工場を呼び込むこともできた。他ではそうしていた。原発がなくては経済が成り立たないという時代でもなかった。出稼ぎではあったけど働き口はあったからな、ともかく原発ができる前にも双葉町にも歴史がある。江戸時代までさかのぼる、相馬藩の一部でもあったんだよ、とにかく

双葉町は消える、10キロ圏内にはとても住めない、公務員宿舎を借りて集団で住むとかそうした準備もしている。もう帰れることは無理だろう。原発事故の様子を見ていたらわかるよな、信じられない汚染水が地下に流れ込んでいるんだから水が飲めないからな、一つの町の歴史が終わるということあるのか?双葉町も父親が関係していたことで郷土史の一部なんだよ、今回の事故はまず密接に地元に関係していた、それで書くことが多い、総決算のように書くことが多い。

失われた平和な風景(夜ノ森-請戸)
http://musubu2.sblo.jp/article/17459204.html

あの辺の風景が津波と原発事故で失われた。あの川は熊川だった。沖に船が行くのが見えた。平和な春の一時だった。
請戸にしても悲惨すぎるし双葉町も帰れないとか今になるとしんじられない、こういう平和なときもあった。
今になるとここにも行けなんから信じられない、悲しいとなる。

posted by 老鶯 at 20:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
「原発と国家」は、共同通信が配信している連載記事で、全国の三大紙以外の地方紙、ブロック紙などが買い取って使用しているだけで、これは民友新聞にも載っています。
青文字は、別掲示板のコメントの「あたる」という投稿者の書き込みらしいですが、同文で引用出典がここにはないので「あたる」は小林さん自身だということになってしまいますね。
すでに他の記事も読んでおりますので、双葉町との個人史的な関係もよくわかりましたし、その思い入れは、ここにきて美しくさえあります。
若くしてなくなられたお父さんの出身地が双葉だということを知ったうえで連想いたしますのは、天野光晴という政治家が、双葉町の貧農の子だったというエピソードです。
Posted by どみんご at 2011年06月18日 03:18
建設大臣なども務めた人物ですが、派閥として原発建設を推進してきた河野派⇒中曽根派に属し、福島第一原発の建設に際してもある程度絡んでいたとの話があるようです
http://plaza.rakuten.co.jp/captain4158/diary/201106070000/

歴史をこどるとこの人から原発推進がはじまっていた。今の福島県の政治家はその子分だとここのプログに書いてありました。双葉町から建設大臣とか出ていた。
双葉町は原発の前から話題の多い土地だった。
福島県にも政治史がありそのつながり継続がある。天野は今の政治の流れを作った一人だとなる

「わたる」というのは自分にはわかりません、他の掲示板では発言していません・・・・

自分自身も政治とか福島県でも勉強不足です、関心もなかったし、二上君の方がそういう面は詳しいでしょう、福島県の地形とかは旅して興味をもったけどその他は福島県も広いからわからないこと多いです
Posted by プログ主(小林) at 2011年06月18日 21:39
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