2006年03月13日
蝋梅と満月(高齢化社会の落とし穴)
蝋梅に満月いでて平成の長寿の世や惚けにならざれ
なんかパソコンにスパイウェア-とかウィルスとか入りかなり悩まされた。一部の重要なソフトが破壊されて閲覧できなくなった。しょっちゅう電源が止まり利用できなくなっていた。認知症の災難も頭にコンピュタ-ウィルスに犯され正常に機能しなくなってしまったのか、確かにサクラのプログも機能的に使えなくなってしまった。ただなんとか普通の文字と写真はめんどうだがアップはできる。このスパイウェア-とかウィルスをなんとかしようとしてスパイバスタ-なか4千5百円で買ったがスパイウェア-ではなく今度はウィルスだとかウィルスのソフトを買いとか電話で相談したら言われた。なんだこれはスパイウェア-とかウィルスがでてきたからまるでそれにきくワクチンを販売してもうける会社なのか?実際にたいした効力もなかったのである。なぜか外国の同じウィルスを阻止するソフトが自動的にインスト-ルされている不思議である。これは何度消してもインスト-ルされる。これもなんなのだろうか?スパイウェア-に汚染された同時にこのスパイウェア-を阻止するソフトが自動的にインスト-ルされたのだ。ウィルスがしかけられそれを種に金儲けになる会社もいる。このウィルスの被害は甚大なものらしい。インタ-ネットの弱点がここにあることがわかった。使うことさえいやになったからだ。ともかく今年は災難の始まりの年だったのか?次から次と災難に見舞われている。
今日は春の満月がでていた。90まで生きるのがめずらしくないのが、平成の時代であった。しかしここに大変な落とし穴がまっていた。それが認知症だったのだ。90まで生きてボケなかったらそれは別に問題なく長寿の平成の世を楽しむことができた人である。しかし90すぎると半分が認知症になるというのもその恐るべき長寿社会の暗黒の部分だったのだ。長寿社会は高齢化社会はボケ社会ともなる。このボケはなんとも始末が悪すぎるのだ。記憶障害から知能が低下するし人間の醜悪な断末魔を経験することになる。これに身近に経験すると高齢化社会は呪われた社会となる。ボケない前に死ぬことを心から願うようになる。認知症になると人間の尊厳も失われるから怖い。認知症になるまえにいくら社会的に活躍した人でも認知症になるとあまりにひどいから人間失格の烙印をおされかねない、それほど無惨な状態になる。ただ認知症とかボケが何なのか、共通の症状があっても百人百様に現れる。今は回復したから人間的な情が自分に対しては通じているのだ。ただ今は瞬間的にも次々に忘れる認知障害があっても妄想がとれないにしても人間的に通じるものがあるから楽なのである。介護する人を気遣い人間的な情は通じているからだ。介護認定では1か2くらいである。妄想とかせん妄で暴れたときは5になっていたのか、手に負えないものと思った。脳血管性のボケはまだらボケでありなんか正気と異常がまじりあっている。確かに正気かと思うとなんでこんなことが理解できないのか変な妄想にこだわっているのか解せないのである。明かに正気であり正気と思っていると簡単なこともわからない常識も通用しない妄想の世界を何度も言う異常になっている。だからまだらボケは外の人には正常に見えるのだ。そこで誤解されやすいのである。
バソコンの機能も余りにも多くありその一部が使いなくても不便でも使えることは使える。ウィルスではパソコンの電源が必ず切れたりつかえなくなっていた。今はソフトが破壊されておさまったのか一部はだめになったが使えている。それでなんとかプログのアップもつづけているのだ。
posted by 天華 at 22:18| Comment(0)
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