夏菊の白と黄色の風にゆる
復興へ向かう短歌十首
墓倒れ故人も驚く地震かな安らけき日のいつ戻りなむ
墓倒れ地割れの道や復旧の道のり長くこの道を行く
雨しとと蛙の鳴きて我が一人昼餉の用意なお余裕あれ
悲しみのなおも深きも生き残る人はひたすら生きるほかなし
生き残る人はなお湧きぬ力あれ樹々の芽吹きてここに生きなむ
家族をも家をもなくしこれよりは何をよすがに生きむとせむ
故郷に長くしあれば離れじを生きる力のここより生まれむ
よすがなる牛や土地や仲間とも分かれて生きる何を頼りに
その土地に長くしありし石なれば動けざるかなここに生きなむ
荒廃の津波の跡に芽吹きかな残れる人は生きるが勤め
昨日は嵐だだった。松川浦ではまた地盤が低くなった所が冠水した。毎日通るところにひっそりと咲いていた菖蒲が倒れていた。墓も倒れて直されていない、この災害は長く尾をひく、歴史的災害である。神戸の震災では商店が復興するのに10年かかった。長かったと言っていた。経験者の言葉だから重い。この復興には長くかかるということを覚悟する必要があるのだ。とても一年に二年とかで復興するものではない、長い根気のいる復興の時間が必要になる。
だから50代とか60代の人は第一次産業に従事している人はあきらめる人も出てくるかもしれないもともとも跡継ぎのいない人もあきらめるかもしれない、これから長い時間をかけても復興するという人でないとやっていけないかもしれない、即席には解決しない、嘆いてもどうにもならない、こういうときみんなあせっているけどかえって今なんとかしようとするとできないかもしれない、長い目で見て復興するならば復興できるかもしれない、その長さに耐えられるのか?それが問題になってくるだろう。神戸の商店街では10年かかったというときまさにそれだけの長さが復興には必要となる。だから途中で投げ出す人もでてくる。こういうときやはり50代以上になると苦しい、でも第一次産業は50代以上は本当に多いのだ。農業でもそうだしそこに大きな復興の問題がひそんでいた。かえって原発事故なら保証してもらった方がいいという人もでてくる。
そもそも跡継ぎがいない人が多いからだ。でもその土地に残る人は復興ということが課せられている。テレビでも地元の人が無償で便利屋を勝手でている。若いときはワルであっても今は違う。なんとか地元のために復興のために力をになろうとしている。でもこれは先が長い、ポランティアは遠くから来てくれたが一時的なもので終わる。ところが地元に住む人は延々とつづくのである。放射能汚染は元にもどるのに何十年かかるというからこれも先が長いのである。その頃、年寄は死んでいるのだ。そんな先の長いことに耐えられない人もでてくるのだ。