2011年05月26日

河の港に佇みて・・・(ヨ-ロッパ-詩)


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これはイギリスの城だけどやはり河は同じである。運河のようになっているのだ。
霧がかかっているのはやはりイギリスらしいとなる。



 河の港に佇みて・・・(ヨ-ロッパ-詩)


長々とゆるやかに河は流れぬ

長々と川の港に船を待ちぬれ

河により結ばれし街と街、人と人

中世の街や石畳の道の古りぬれ

その路地を静かに我が歩めば

古き教会の鐘は鳴りひびきぬ

厳かに鳴り響きわたりぬ

主への祈りは長くもここに献げられぬ

ラインはロ-マとの境

中世の古城は点々とその岸辺に

フランスのロ-ヌ河やセ-ヌ河や

ヨ-ロッパの歴史は河とともにありぬ

穏やかな河の流れや悠々と

石の古城や教会も古りにし

石の橋もまた人の行き来に古り

秋の日さして旅人は中世の時に戻りぬ



旅をするとき、待つ時間が旅で長ければ長いほど印象的になる。人間は短い時間で何でも消化できない、特に外国のように変わっているとそこが何なのか理解しにくいのだ。ヨ-ロッパでは河が幹線のように流れているから河の文化があことは理解しやすい、ライン河のように国境になっている所もありまたロ-マの境だったこともある。河は国境になりやすいのが大陸でありヨ-ロッパであった。やはり旅して興味深いのヨ-ロッパになるかもしれない、ヨ-ロッパの中世は日本の江戸時代とにている。城がやたら多いのがにている。中世でもそうだが歴史があるということはそれだけその国に文化の厚みがあることなのだ。中国とかには歴史はあっても中世はない、かえって歴史がわかりにくいのも不思議である。大きすぎるからかもしれない、ヨ-ロッパは日本のようにちいさく分割されているから理解しやすいともなる。

ともかく津波原発事故のことで旅のことやら文化的のことを探求できなくなった。ここにきてまた旅を思い出して詩ができた。旅でも外国だとあとからじっくりイメ-ジ化しないと理解できない、やはり外国は変わっているからその場ですぐに理解することがむずかしい。時間のなかで理解されてゆく。要するに貴重なのは時間なのである。急いで旅したら急ぐことに比例して旅の記憶は残らないのだ。旅はやはり一人旅が旅になりやすい、自由気ままな旅が旅である。つまり道が分かれているときその時の気分でどっちにでもゆく、決められない旅が旅である。道は未知だからである。だから近くでも旅はできる、道にそってどこまでも行くのである。旅をしつづけたが今旅が全くできなくなった。5年間の内一回だけ三陸を一日旅しただけである。まあ、30年間くらい旅して来たのだから文句は言えないだろう。今やここは刑務所である。回りさえ立入禁止区域になっている。鉄道は通らないし六号線は遮断されている。刑務所の塀の中の生活のようになっている。毎日津波や原発事故のことが頭から離れない、それでもちょっと余裕ができたから詩ができた。旅を思い出した詩ができたのである。


 

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