2011年05月24日

新緑(南相馬市原町区も正常化してはいるが・・・)

 
新緑の風にそよぎて原町に人も戻りて店も開きぬ


高台に菖蒲の咲きて行く人もまれにし静か事もなきかも


紫の菖蒲の色濃く静まりぬ藤の花垂れ夕べとなりぬ

イオンとかツタヤも開いていた。原町も正常化している。ただ原町はまだ公共的ななところ、学校や病院などが正常化していない、生徒は鹿島区に通い市立病院は応急措置しかしていない、治療はできない、それから耕すなというとき田畑が使用できないことは農家でも困る。
これはしかたないのだろう、なぜなら飯館が放射線量が一番高い、そして放射性物質は土とか葉とか木にたまりやすいとあった。土にたまったセシウムなどは木を通じてまた土にもどり循環するというやっかいなものだった。これから梅雨で雨がふると最初を気をつけろとあった。空中にたまったセシウムなどが雨と共にふってくる。そしてその放射性物質、セシウムなどが山から流れてくる。飯館からなら南相馬の原町区でも鹿島区でも相馬市でも流れてくる。なぜ赤字木(あこうぎ)地帯があれほど今でも20マイクロシ−ベル近くになっているのか、やはり地形的要因として谷間であり森でもあったからだ。森がセシウムなどを吸収したために一段と放射線量が高くなっていた。その森や山の土から放射性物質が川などに流れてくる。それでヤマメなどからも基準値を越えた放射性物質が発見された。その川の水がダムに流れ田んぼに流れて来るとしたら危険になる。


ただ水はどうなっているのか、水道の水はダムなどから取水している。それがどうなるのか、その辺は調べているのだろうか不安になる。山側は放射線量が平均して高い、丸森も高いのである。だから相馬市では田植えしているが山側からの水が田んぼに流れ込んでいることは確かなのである。そうなると相馬市でとれた米が果たして基準値内に放射性物質がベクレルでおさまるのか疑問になる。南相馬市と相馬市でそれほど放射線量が変わると思えないのに相馬市では田植えが許可されている。福島市だって南相馬市より放射線量が高い、政府では放射線管理区域にもしていない、だから自主的に子供の親は校庭の土を除去するなど放射線量を減らす作業をした。政府は国民の命を守ってくれない、福島市とか郡山市とかは人口が多いから避難地域には指定しない、保証しきれないからだ。そしたら市町村で独自に命を守るほかない。政府と地方自治の対立がでてくる。そもそも地方自治体で原発を拒否できた。でも一旦許可したら県でも市町村でも政府指導になり原子力村には逆らえなくなっていた。国策だから地方の権限は喪失していた。原発の事故ではいかに地方自治がしっかりしていないと命の保証すらされないことがわかった。国にまかししていたらただ犠牲にされる。放射能のいい実験材料にもされる。これからは地方でも積極的に政治に参加しないと命の安全も図れないことがわかった。福島県は原発事故の犠牲になったのである。


鹿島区の川子の高台から海をみると実はその足下まで海だった。津波でそれがわかったのである。川子の高台の家の下まで津波がおしよせていた。あの辺は低い土地でありあの高台の下は全部が海だったのである。みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを(笠女郎)の万葉集の歌のように草原は港でありあの辺は一面海だった。だから八沢浦が海になったように美しかった。そして海だったのだから津波が来たような所には人は住んでいない、それで磯部でもそうだがあそこは海に接して砂州だった所である。そういう所に人が密集して住むようになったか、烏崎でもそうであり松川浦でもそうである。津波が来るなど全く想定していない、
でも海側に住んでいる人は必ず海にのまれる夢をみる、それが生々しい夢であり恐れを常に抱いている。自分もちょうど小学校の前辺りに浪がおしよせてくる夢を見る。その前に家がないから直接海に通じている感じになっていた。それが実際に現実になったことに驚くのだ。まちがいなく海は怖いものだったのである。いつかそういう時が来るのではないかと夢に見ていた。

津波のことをもっと警戒しても良かった。それが全然警戒していない、今度小学校でも津波の避難訓練したというが今までそんなことを全くしていなかった。いづれにしろ海に近い平地がいかに危険だったか、大内村でも烏崎村でも高台に家があれば被害はなかった。でも高台になると不便であり多くの家は建てられない、それで平地に家が密集するようになった。これは三陸でも同じである。高台の土地は少ないし平地が便利だから平地に家が密集したのである。でも三陸だったら何度も津波に襲われているから危険をもっと危険を感じるべきだったろう。

原町でも人がいなくなれば自然すら映えない、街は死んで自然も死んでしまう。人工的なものと自然の両方がマッチして活きたものとなる。でも植田がないということは自然が失われた。

鷺をみかけない、鷺が消えたのである。ということは夏の風物であり季語が喪失したことになる。帰るも田んぼに鳴いているのが自然であるがそれも消えた。こんなことを田を米を作りはじめてから経験しないだろう。だから回りは索漠としている。でもなんとか人が戻ったから正常化している。

 


 

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