あめんぼう池に泳ぎて波紋たち鯉のはねにき夏は来たりぬ
ノウサギのはねてよぎりぬ夏の日やこの辺り隠る森のありしも
一本の松の静かに藤の花ここにそよゆれ行く人もなし
藤の花日陰にそよゆれ静かなり慣れにし道を我が行きにけり
藤の花散りて静けき公園に我は休みて菖蒲も咲きぬ
静かなる心にあれや藤の花風にそよゆれ垂れにけるかな
海よりの風の涼しき初夏や津波の被害ここにあれども
苧環のひそか咲きしを我が庭に見守りあれば今日散りにけるかな
黄金色海老根蘭咲き牡丹に映えまた芍薬に映えにけるかな
心地よく我が目に写る忘れな草朝の静かに我が庭にあり
ともかく夏になったことは確かである。ただ季節すら変わってしまった。この辺は田植えがない、その変化は大きい。まだ津波の後は全部かたづいていない、船もかたづいていない、そもそも港が破壊されたところではもう船は使えないだろう。烏崎や新地などはもう漁業はできないだろう。壊滅してしまったからである。松川浦はなんとか再開するだろう。他の漁業は三割の人が廃業するというのもわかる。今回の原発と津波では今まで経営が苦しい所はやめたしまうし跡継ぎがない漁業とか農業もやめる人が多いだろう。大原の農家の人のことを書いたがあそこも放射能で汚染されたから跡継ぎもないからもう年で農業もできないから東電に保証してもらった方がいいとなる。そういう所は結構ある。ただどこまで保証されるのかわからないが30キロ圏内は保証される。
六号線の池のあるところにノウサギが跳ねて隠れ消えた。あんなところにもノウサギがでてくる。確かに背後には埋め立て地があるが森があるからだろう。前も町近くの田んぼにでてきたので驚いた。兎追いしかの山・・・という風景はあったのだ。そういう故郷があることは心なごむ。
飯館村なんかそういういい所だった。それが人がいなくなってしまうのか?その後一体どうなってしまうのだろうか?イノシシとかノウサギの楽園になってしまうのか?現実にチェルノブリは狼が住む原野に帰ったらしい。放射能に汚染されても別に草木か枯れて花が咲かなくなったりしないのである。わずかに茎の長いタンポポが咲いていたとか確認されている。これも奇形とは言えない、放射能はどういうふうに影響するのかはっきりしないのである。人間にしてもガンになる人が増えるといってもその因果関係も証明されていないのだ。子供に影響あることはわかっていてもその他わかっていない、人がいなくなり自然に戻れば飯館でも原初の森におおわれてしまったらそれなりにそこは憩いの場になるかもしれない、ただ放射能はなかなか消えない、30年後辺りにもし人が住めないで原初の森に戻ってしまうのか、それとも菜の花や向日葵などが除染のために植えられ繁茂するようになるのか?その後一体どうなってしまうのか?放射能汚染の問題ははじめての経験だから結局学者もわからないのである。10年後ガンになるといっても別に60以上の人ならガンになる確率は高くなっているのだから放射能が原因だとはならないからだ。