2011年05月14日

原発事故で東電社員は逃げた (残ったのは50人-あぶりだされた真実)


原発事故で東電社員は逃げた
(残ったのは50人-あぶりだされた真実)


14日に亡くなった60歳代の協力企業の男性の死因は、わかっていないものの、 
放射線量を気にしながらの防護服での作業は、身体的、精神的な負担も大きく、 
作業員に不安が広がっている。 
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110514-OYT1T00511.htm 



女「これは○○(大学名)の方から聞いたんだけどね、
  原発でトラブルがあった直後からニュースで報道されるまでの間にね
  政治家の上のほうの方たちの家族とね、東電の重役の家族が
  国外へ避難したそうよ。
男「国外ってどこへ」
女「スイスやドイツとかヨーロッパの別荘とか言ってたわ」
男「チケットなんてとれるのかね」
女「政府や大企業の家族には特別措置がはかられるのがあるじゃない。
  それよりそういった家族全員が海外へ避難したのを確認してから
  ニュース報道がされたそうよ」
男「そりゃひどい」

 



大阪に逃げた浪江の女性もビデオで語っていたけど東電職員は危険をいち早く察知して逃げた。子供を逃がした。やはり放射能の危険を知っていたからだ。日頃から放射能のことを現実的仕事として知っていたからこそ逃げた。自分は15日間テレビばかり見ていた。そしたら放射能は危険ではない、直ちに影響はないとかばかりテレビの言うことを聞いていたので放射能なんか恐れるひつようがないと思って外にでていた。爆発したときは30キロから二三キロ離れても回りの人は逃げた人が多かった。結局自分は放射能に無知だったのである。はじめてのことだから放射能が何かとっさにわからなかった。日頃から放射能の危険を知っている人は逃げたのである。自分の場合は介護しているから逃げようもなかったこともある。それにしても爆発がつづいたときは放射能のことを知っていれば逃げるのが普通だろう。飯館村はかなり被曝してから計画避難地域になった。やはり一か月くらいは一時的にでも避難すべきだったのだろう。あまりにも今でも放射線量が高いからだ。南相馬市では一号機が爆発したとき3時間くらい20マイクロシ−ベルにもなったから高かった。そのあとは急速に低下した。だから外に出ていても幸運にも被曝量が少なくてすんだということがある。東電社員は原発で常時働いているのだからとっさに反応して逃げた。残ったのは50人だけであり外国からも無名の50人として称賛されている。


でも原発については無関心だった。原子力発電所内で働いている人でこれまでも被曝して死んだりしていた人がいたが隠されていた。そういうことにも無関心だった。原子力で働くことは危険なことだった。人間はそうした底辺で働く人を注目していない、別にこの世の中で建設現場でも危険な労働をさせられている人は普通にいる。そんな人を注目している人はいない、なぜ今回はそうした底辺で働く人が注目されたのだろうか?これも原発事故がなかったら別に注目していない、危険だとしても金になるからやっているだろうくらいにしか思っていない、それがなぜこれほど注目されるようになったのか?世論ではみんな原子力利権で潤った幹部たちが社長であれ原子力委員であれ御用学者であれ東電の社員が率先して危険な現場で働いて原発事故をおさめろと言っている。それも当然だと思う。どれだけの金を手にしたか、普通の庶民とは桁違いの金である。これも別に事故さえ起こさなければ責められることがなっかた。それだけの責任をになっていたからである。今になってあまりの責任の重さがあったことを自覚した。日本全体を放射能汚染して世界も汚染した。その被害の大きさが自覚させたのである。


結局原子力という危険なものにたづさわっていてもその危険を真剣に考慮していなかった。一旦事故になったらどうなるのかを考慮していなかった。危険はわかっているはずでも真剣に考慮していなかった。そしてただ莫大な原子力利権のみがその金が官僚や学者やら政治家にマスコミに回り安全神話が作られたのである。今回はなぜか右翼の街宣車が東電前で騒がない、右翼系統は放射線は健康にいいという人が多い。これも変だなと思う。官僚とか学者とかを責めているけと東電をあまり責めないのは何故なのだろうかと思う。やはり金が回っていたのかなる。右翼はまた暴力団と関係していることが多いから東電の金が回っていたのかもしれない、地元でも東電に勤めている人は暴力団的な役割を果たしていた。原子力は危険だと言わなくさせていたのである。利権にかかわっていたら食堂の人でも原子力は危険だなと言えなくなるのだ。現実今でも原発あるところでは地元で生活する人は恩恵があるからそうなっているのだ。現実利権はそれだけ大きいからそれで安全神話が作られていった。国策でもあるのだから逆らうことはむずかしい。文部科学省も危険だという項目を教科書入れさせなかったのである。それだけ危険ということを言わせないなら原子力の危険性を知っていたかというとそうでもなかった。危機感もなかった。いかに原発がずさんだったかをみてもわかる。今回の津波か原因だけではない、地震でも主要部分が壊れたのである。


ともかく人間の価値観はその時々に変わってくる。価値が一定していることがない、こういう事故とか大災害が起きると価値観も変わってしまう。今回の事故では否応なくあぶりだされたものがある。エリ-ト層が断罪されたことである。濡れ手で粟の収入を東電から得ていたが原発で一番肝心の安全のためには働かなかった。東電から金をもらいあとは適当に茶を濁して金をもらうだけだった。安全のことなど何ら手を打つことなく安全だと言っているだけだったのである。事故が起きても放射能は安全だと言いつづけている。普通だったら底辺の労働者に注意を向けられることはない、価値を認められることはない、今回は放射線をあびてガレキ一つでも取り除くことが価値あることになった。東電社員はそれをやれとみんな言っている。社長や学者でも原発推進者は事故現場に行って底辺労働者になれと言われる。つまり頭だけではどうにもならない、結局最後は原発事故を収めるのはチェルノブリのように人海戦術になる。人の手でやるほかない。ロボットでもやれないことがわかった。その時犠牲になる人は価値ある人になる。

60以上の退職した人が放射線の影響をあまり受けないから志願した。そのことが褒めたたえられている。確かに技術も必要だけどそれ異常に犠牲的精神が望まれている。特攻隊のような犠牲的精神が必要とされている。やはり最後は機械ではない人間が解決する、そして人間の精神が最も大事になってくる。エリ-トの頭のいい上層部はただ自分の保身しかないから醜いずるいとなる。その時犠牲になるのは底辺層でありその人たちただそうした志があるとは限らない、今一番大事な仕事をしているのだ。日本人の命を救うために奮闘している。普通だったら建築現場で底辺で働いてもさほどの評価はないし注目もしない、今は違う、みんながち注目しているのだ。上層部は何にも役に立たない、お前ら原発事故現場で働けと言われる。そこに価値の変化が起きた。原発事故でいかにエリ-トがずるい人たちでありモラルがなくただ金だけをもらう人たちだったか、そのことがあぶりだされたのである。その人たちがなぜ高額の金をもらっていたのか、今現場で命をかけて働いている人たちに払いと言われる。責任を果たしていれば事故がなけれはこうは言われなかったのである。


利権の構図
http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/13.html


冷却の仕事を放り出して逃げた福島原発東電社員が行方不明

http://kashiwataro.iza.ne.jp/blog/entry/2206970/


浪江の人の原発からの逃避行

http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903050002-n2.htm

posted by 老鶯 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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