2011年05月08日

南相馬市は避難する必要なかった!(福島市は避難地域だった)


南相馬市は避難する必要なかった!(福島市は避難地域だった)

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●政府の支持は信用できない


南相馬市は12日の3時間くらい放射線量が高かった。最高20マイクロシ-ベルトになった。それも3時間くらいで5マイクロシ-ベル以下に下がりあとは下がる一方だった。
一方福島市はグラフで10日間の推移を見ても放射線量が高いのである。
この放射線量から見れば福島市が避難地域に指定されのが一目瞭然である。
飯館村は計られていなかったが飯館村も福島市以上に高かった。浪江の山中はもっと高かった。浪江は避難指示になった。飯館村と福島市はなっていなかった。
南相馬市はほんの一部が放射線量が高いところがあったがほとんど高くなっていない
3時間くらい高かったが急速に低下してあとは5-4-3マイクロシ−ベルトと低下する一方だったのである。これはいわき市も同じであり3時間くらい高い時があったがあとは低下する一方であり南相馬市よりさらに半分以下になって低下している。
すると同心円の30キロで避難地域を決めることは何ら根拠のないものだった
肝心の避難地域は飯館村や福島市になっていたのである。
でも南相馬市の人が避難した地域が福島市だったというのもおかしなことになる。
放射線の高い領域に避難したのである。郡山も南相馬市より高かったのである。
南相馬市は屋内退避とかいろいろ政府から指定されて混乱した。
それは実際は科学的には根拠のないことであった。
政府の一方的指示で混乱させられたのである。
もちろん風向きが変われば30キロ圏内は危険だからそうしたことはわかる。
でも南相馬市といわき市は水素爆発の影響を最初の一回だけ受けてあとは全く受けていない、放射線量は低下する一方だった。
それに比べ福島市は10日間からさらに10日間となかなか低下しなかったのである。
風向きしだいだから政府も避難指示をだしにくいことはあった。
でも明かに福島市は高いのだから避難指示が出ても良かった。南相馬市より高い日が持続したのだ。それをしなかったのとは福島市を避難指示にしたら人口が多いから混乱するからである。郡山市もそうである。中通りを避難地域にしたら大混乱になるからしなかっただけなのである。おそらくこれからもそうである。避難指示にしたら政府に保証問題が生じる。
人口が多ければ保証しきれないから避難指示はこれからもしない、
東京なんかもいくら放射線量が高くても避難指示は最後までしない
安全です、安全ですと言いつづけるだけである。
放射線量はガイガ-カウンタ-があれば個々人でも計れる。
そうした自衛手段も必要になってくるかもしれない、政府では危険でも避難指示をしない
30キロ圏内だけしかしない、でも実際は30キロ圏内の避難指示は全部必要ではなかった。
政府は放射線の後遺症とかについても責任はもたない、因果関係は今も証明されていないからもつよう必要がないからだ。


●放射線が一番高い地点

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南相馬市原町区の片倉村から横川ダムを通り原浪トンネルを通って浪江町の昼曽根に出て津島の方に行く椚平(くぬぎたいら)が一番放射線量が高い。原浪トンネルは原町区と浪江の境目にあった。ここのトンネルは新しいトンネルである。そしして今日NHKのテレビで浪江の請戸地区に入った人を見たが原浪トンネルを出たところが20キロ圏内の立入禁止区域になっていた。
あの辺が同心円で20キロ地点だった。あそこは何回も自転車で行っていたからわかっている。
梅林があったからまちがいないだろう。あの辺にもまばらに家はあることはある。もう誰も住んでいないだろう。あの辺は人が住めなくなってしまうのか?

南相馬市では横川ダム近辺の片倉村などが放射線量が高くなることがわかる。一番放射線量が高い椚平に近いからである。だからこの辺は飯館村と同じ計画的避難地域に指定されている。
 
posted by 老鶯 at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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