2011年05月05日

余震もおさまったようだが・・・


それぞれに色をつくしてチュ-リップ明るき陽ざしに喜び咲きぬ


二本の松の残りて余震なく静まりけるかな春の日暮れぬ

余震はおさまってきたみたいだ。地震の余震がおさまっても人間の余震は当分おさまらない、放射能問題もありおさまらない、この騒動は簡単におさまらない、あまりにも被害が大きかった。鹿島区に千人も仮設住宅に入るとしたらかなりの影響がある。実際に300戸くらいたつのかもしれない、南相馬市の被災者が鹿島区に集めるのかもしれない、今相馬市に避難した被災者は飯坂温泉に移っている。そういう人たちが今度は仮設住宅に入る。相馬市ではすでに仮設住宅に入った人がいる。仮設住宅も凄い数が必要なのだ。それが建ってみると本当に数が多いと思う。しかしその後もさまざまな問題が生じてくる。二年くらいを期限として入ってもその後どうするんだろうかとか就職とか生活の問題が山積みなのである。今回の地震津波原子力事故では本当に社会自体の大きな変革が要求されている。そして高齢化社会の問題もそこにあった。3分の2は60才以上の人が死んでいることでもわかるし復興するにしても高齢化がはばむことになる。戦後の焼け野原から復興したのは若い人が多かった、団塊の世代が生まれたときであり人口爆発の時代だった。今は逆に高齢化でありこれが前に進めない要因ともなる。ともかく明かに社会の時代の変わり目になることはまちがいない、そういう大きな変化の浪に見舞われたのである。


自分はさほど被害を受けなかった。だから余裕がまだある。15日間くらいは介護しているから食料に困った。それから温水器が壊れて風呂に三週間くらい入らなかった。ただ三食用意すること結構楽じゃない、今もそうなんだけど食事の半分を弁当にしているから楽になる。米だけでもたくのが面倒で三十分でたける簡単な電気炊飯器買ったがやはりうまくはたけない、どうしても自分はマメでないから料理もできない、だから弁当になるのである。弁当だと本当に楽になるからいいのだ。


まあ、これから何らか援助せねばならなくなるだろう。義援金5万もらったが別に必要ないからこの辺で震災孤児が出たのか?寄付をつのっているからそういう方面に多少援助すればいいかもしれない、その他何かするにも体がまともでいなのでできない、でもこういう被災地に住んでいれば今は何か助け合うことが強いられることも確かである。ただどういう被災者がいるのかわからない、南相馬市の被災者はこの辺にいない、原発事故で避難した人もいない、ただ明かに仮設住宅に千人も入るようになることは確かなみたいだ。


右田の松原は消えて名残の松が残っているだけである。これは海岸線はどこでもそうなっているのだ。だから残った松をしみじみと見るようになるのだ。

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