2011年05月02日

春の嵐(津波や原発事故で変革を迫られる)


吹きすさぶ風にゆすられ芽吹きかな


津波あと仮設住宅あまた建ち春の嵐や夜半に吹き荒る


ますぐにも大木立ちて風うなり芽吹きけるかな苦難の中に


金銭にあがなえざりし田畑なり牛と暮らせる村の一つに

夜は嵐だった。津波から原発事故からと風雲と動乱の時である。千人も被災者が町に集ることはかなりの変化である。ということはコンパクトシティとかコンパクトタウンとかになる。田舎も家々が広く偏在しているのかもしれない、それが不便になっている。ところがそれは自然の暮らしから必然的にそうなったのである。必ず前田とあれば山の中でも海に近い田んぼでも前田が生活の拠点となり村が広がり形成された。日本はどんなところにも田を作ることによって住む場所を広げていったのである。海岸地帯でも今度津波で被害にあったところも湿地帯を埋め立てて田にしたところだった。田を作れば米が主食となり生活が成り立つ。それで生活圏が山のの中でも海岸地帯でも田を作り拡大してきた。それから酪農というのも明治以降盛んになった。これも広い土地が必要だからそれぞれに広い土地を使うから住む家が広く山から海へと点在するようになった。それは自然なことであった。一方工業化とか商業化は町、街を形成するようになる。集約的な人口の集中化しやすいから街が形成される。

今回の津波で漁業でも農業でも個々人が船をもってやることはむずかしくなった。農業にしても個々人の力では無理になった。それは一つのチャンスだということと確かである。農業でも土地を集約化して会社組織にするとか農業でもそうである。街作りでも今がチャンスだという。計画的な街作りがそれぞれの人がまた自分の土地に家など建てない前にする必要があるという。つまりこういう大変革はこんな非常の時しかできない、平時には絶対にできない、完全に街が破壊されたから完全に新しい街が作れるという新しい発想が実現するということになる。

飯館村のようなところはそもそも避難することが無理である。あまりにも土地と一体化していたからである。それは金銭であがなえないものである。一億円やるから村を捨て仕事を捨てて都会で楽な暮らしすればいいじゃないかとなるのか?それより昔からの仲間と一緒に牛と一緒に貧乏でも暮らしたい、ここから移りたくないという人はでてくる。全部ではないに意識しないにしろそういうふうに生きていたものを果たしてその意識を全く変えることができるのか?

村を捨てられないというとき人間もその土地の樹木のようになってしまっている。つくづく団地のようなアパ-トには住みたくないというのはつくづくわかる。飯館村に行けばわかる、森につつまれて隣は離れている。一軒一軒がぎっしりと並びひしめいているような所ではない、森に隠れるようにして一軒一軒が独立してあるのだ。飯館村に行くとだからそういう点うらやましいとなる。そういう人たちがアパ-トのようなせせこましい隣の物音を気にするようなところに住みたくないというのがわかる。自分も田舎は人間関係は嫌だけど東京のようなところになると余りにもせせこましい窮屈に感じてしまう。そういう生活が豊かな生活だとは思えないのだ。それでも福島市とか郡山市は郊外が広いからまだいいかもしれない、ともかくこうした村一つが喪失すること、それをあがなえるものなどないのだ。北海道辺りに村ごと移住すればいいとなるがそれも簡単にできるものではない、村一つを消されることそれがどれだけ罪作りなことかわかる。双葉町は利益を得ていたからやむをえないとかなるが飯館村は全く何の利益も受けていなかったのである。


いづれにしろ山津見神社辺りまで放射能に汚染されたことが信じられない、ある意味で秘境のようなところだった。でもかえって風景のいいところに原発が建って所が多いというのはそこが過疎地域になっているためだろう。今回の津波にしろ原発にしろ現代の都会と田舎の問題とか様々なことを浮き彫りにした。大きな生活の見直し転換が迫られているのだ。

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