2011年04月29日

あくなき人間の欲望を追求するものとなった科学の危険 (原子力事故の恐怖)


あくなき人間の欲望を追求するものとなった科学の危険
(原子力事故の恐怖)
http://musubu.jp/jijimondai-41#atomic2(時事問題の深層41へ)

現代は科学が万能化して宗教化すらした。科学に成しえないものがない、限界もない、科学は無限に発展して人間の要望に答えてくれる。科学は現代の神であり科学者は神官である。
これほどまでに科学が大きな力を持った時代はない、それは何故なのか?丁度金がすべての欲望をかなえてくれる、金が万能の資本主義社会ともにている。これもやはり人間の欲望が金に象徴されるからである。科学はもともと錬金術のように石を黄金に変えるという深い欲望から生まれたのである。人間は自分たちの欲望を満たしてくれるものならあくことなく追求する。
人間には長く宗教が権威をふるった時代があった。宗教は人間に欲望を抑えることを教えた。
科学はその反対にあくことなき人間の欲望を具体的に追求してきた。病気にしても奇跡で直していた時代もあったがもはやそいういうことは通用しない、病気を追求するのは科学であり医学である。そこでも人間の欲望は無限に拡大化してゆく、制限がない、長寿を望み不老不死を望みそれさえ可能なのだと科学に望むようになる。科学は人間の欲望を何でもかなえてくれるから是認される。今は宗教すら科学であり欲望を肯定する。そうして結局欲望の歯止めがなくなる。


そして電気も無制限に使いそれがいかに作られるのかもわからず使っている。空気のように使っていた。そしてその人間の欲望に答えるために原子力に手を出すようになった。正に原子力は石を黄金に変える現代の錬金術だった。しかしそこに恐るべき危険が隠されていた。人間はやはり神から火を盗み錬金術で人間の欲望を達成しようとした。その罰がいかに過酷なものとなったかは今回の原子力発電の事故で自ら体験した。20キロ圏内はすでに永久に住めないとかなる。人間の盲点は制限する力がない、そこから人間は神のような力を持てるのだと錯覚する。人間にはまた減らす思想というのが欠けている。何でもとにかく増えねばならない、無限に経済も発展して科学も発展していかねばならない、そこに歯止めがないのである。歯止めをかけるものがないのである。そこに恐るべき危険がひそんでいたのである。

posted by 老鶯 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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