2011年04月25日

津波、原発事故の原因は何であったのか?(日本人のモラルの崩壊だった)


津波、原発事故の原因は何であったのか?
(日本人のモラルの崩壊だった)

●民主主義がなかった福島県民


まともな民主主義国じゃあ、もう当分は原発新設は無理だろう。
ドイツやアメリカは地方分権だから、地元が反対したらできない。
フランスだって、中央集権+官僚国家で国策で進めてきたが、
もう新規立地は難しくなって、海底原発とか開発してる。
今原発を熱心に買おうとしてるのは、独裁国とか途上国。


デモクラシ-のデモスは民衆とかの意味もあるけど地方という意味もあるようだ。ポリスといっても都市は各地にあり自治をしていたのだからポリス間ではその利害関係が問題になる。つまり地方の主張が反映されるのが民主主義でもあった。交通も発達しない時代は地方のもっている力は大きい。クニというとき「あなたのクニはどこですか」というときはその出身地であり狭い範囲が国なのである。その国が拡大したときもやはり地方のもっているクニ意識は残った。


福島県民は権勢について無関心である。知事の選挙などいつも投票率が低い、誰がやっても同じだとかなる。その無関心さが今回の事故の犠牲者になった。もちろん無関心にされたということもある。地元でも安全、安全しか言うことができない、それは利益優先になるからだ。すべての人が利益優先でありそれを否定することはできない、金が入れば原発もいいじゃないか、事故なんか起きないよ、安全だとあれほど言っているのだからと言った軽い気持ちだったのであり福島県民とか地元の双葉町は特にそのことで今責められている。東電から莫大な金もらっているではないかとか原発を町のシンボルにしたことが責められている。福島県民も責められているのだ。なぜなら双葉町内に原発を作るなら双葉町の許可と福島県の許可を得れば原発は作られるからだ。それで損したのはその回りの浪江町と南相馬市とか近隣の市長村だったとなる。そこに金は落ちていないのである。ましてや飯館村など全然関係ないと思っていたしなぜこんなに苦しめられるのかとなる。だから双葉町とか一つの町とか村で決められないのが原発だった。でも普通の庶民はその土地に生きているものはやはり経済優先であり利益優先である。不景気になってから小高に住む人が原発できればまた景気良くなるよとか言っていた。その人が小高にいられなくなった。原発に関しては一般庶民はそんな知識しかない、誰も原発の恐ろしさを教える人もいないからだ。そして現実に小高に原発を作る予定だった。それは南相馬市で推進していた。すると自分の住んでいるところも今度は20キロ圏内とかなり住めなくなるのだ。原子力発電の事故が起きればその周辺の被害は甚大であり住めなくなる。これほどの被害はない、もしそういうことを教えられていれば誰も原発を容認することはない、ただ聞こえてくるのは原発は安全だ安全だしかないから今回のような悲劇になった。


●メデアにより操作された安全神話


今回の原発事故でいろいろなことが明かにされた。情報がメデアによって操作されていた。福島県民も完全に操作されていた。なぜ佐藤栄佐久が急に検察に目をつけられ逮捕されたのか、その裏は複雑でも明かに検察がアメリカの意向を受けて原発推進なのである。日本ではアメリカの悪は追求されないようになっている。検察はアメリカが戦争で日本に勝利したときアメリカの意向に従うようにされた。だから必ずアメリカ側につくのだ。アメリカに反抗して中国側についたりすると犯罪の濡れ衣を着せられ逮捕される。小沢氏などもそうなのだろう。ただ佐藤栄佐久も原発反対ではなく安全に原発を管理しろということであった。これは共産党も同じである。原発そのものに反対する政党も政治家もいなかった。でも安全には極力注意しろということでそのことを再三言ったが通じなかった。安全でないということすら口にできない体制ができあがっていたのである。だから何度も佐藤栄佐久は福島の第一原発は危険だから対策しろと言っていた。でもそれは通じなかった。安全だという包囲網がありその中にマスコミもあった。そもそもマスコミとか地方の雑誌にでも東電の宣伝はのせられるしそこが大きな収入源となる。地方で雑誌など出してもそれだけで運営できるように思えないからだ。必ず企業とかから宣伝費とかの名目で金が入ってくる。これは新聞でもテレビでも同じである。


東電から出る金は桁外れだった。だから政治家から官僚からマスコミから学者から様々な人々がたかる構造ができあがっていたのだ。文部科学省で教科書に原発は安全でないということも書かされなかった。検閲を受けていたのである。誰でも金をもらえばいいとなることをなかなか否定できない、ただ言論に関して金をもらうと歪められるから致命的となる。雑誌とか出すにしても本を出しても利益にならないのだ。ただ毎日のように青汁が健康にいいよと芸能人などが宣伝するとき疑う、金をもらっているのだからいいというに決まっている。そういう人たちただ金さえもらえればいい、自分のことしか考えていない、みんな自分が金になればいいあとは知らなとなっている。ともかく会社であれどこであれ金をもらうとき中立性はなくなる。その点インタ-ネットは金がかからないメデアだから真実が報道されることがある。でもテレビとかのように大衆を洗脳する力はない、原発が安全だ安全だという声に抗することはできなかった。原発は余計にむずかしいから専門家の独断上になる。すると素人は質問すらできなくなる。そんな馬鹿な質問なんかするな、素人は口出すなとなる。そして結局専門家集団のいいなりになり今度の悲惨な結果となったのである。自分も原発のことなどわからない、でも金をもらうことには普通うしろめたいもの感じるのが普通である。金をもらえるから企業の言いなりになることはさけられないのだ。余りにもすべてが金、金、金になっていることが原発事故にも関係していたことは確かである。金さえもらえればいい、そこに節操がなくなっていた。すべてが金で動いているからそうなる。そういう点で人災であり日本人のモラルの崩壊が引き起こした事故だったとも言える。


●モラルの崩壊が津波の原因でもあった


そもそも自然災害はただ単に自然的に人間の社会とは関係なしに起こるものなのだろうか?普通は自然災害は不可抗力であり人間の社会がどんなものであれ関係ないとなるのか?大洪水が起きてノアの方舟は作られたのは悪に満ちていたから大洪水が起きたと聖書にある。モラルと関係して大災害が起きた。普通はそんなことはないと思うかもしれないがモラルが崩壊することで神の怒りをかった。そして大洪水が起きた。今日本の社会はまさにモラルが崩壊している。モラルというとき宗教的なものだけではなく日本人の伝統的なモラルが崩壊しているのだ。結局人間関係も家族関係も金が第一だとなる。金をもっていなければ親すら大事にされない、姑とか嫁の関係も変わっている。姑は家族から追い出されるようなことが起きている。嫁の力が大きくなっているからだ。これもともかくそんなもの古いのだというのがわかるにしても秩序が破壊されることはまちがいない、親や目上のものが金がなければ大事にされないとなれば金さえもっていればとなってしまう。家族関係の中にも金が大きな力をもつようになってしまった。「武士は食わねど高楊枝」とかは武士というものは食えなくても誇示するものがある、尊敬されるものがあるからそう言えたのだろう。


今の時代は金がなければ何の力もない、誰も相手にもしない、金意外に尊敬するものもないのだ。金中心の資本主義も限度にきている。そうしたモラルの崩壊が神の怒りをかったかもしれない、もちろん千年に一回の津波だからそんなことは自然法則によるものでありモラルとは関係ないともいえる。でも神からの自然からの警告だったかもしれない、もっとみんな協力して生活しろよとかの警告だったかもしれない、日本人が今一丸となって被災者のために働いていることは悪いことではない、この大災害は社会にも大変革を要求しているのだ。エネルギ-に関してもそうである。そんなに電気を湯水のように使うことがどうなるのか、結果的に原子力という一番危険なものに手を出すようになったではないか、そして罪もない飯館村のような山の奥の村が一番被害を受けた。何で自分たちだけがこんな被害を受けねばならないのか、それはまさに現代文明の犠牲者になったのである。20キロ圏内の牛などが無惨に放置されて死んでいるように何の罪もないものが死ぬと同じである。原子力でも文明でもみんないいものだと思っていたけど文明は恐ろしいものを秘めていた。それが今回の原発事故で明かにされたのである。資本主義も崩壊して別なものを要求されている。つまりこの津波や原子力事故の災害は新たなものを作れという神からの命令だったかもしれない、そのために多くの犠牲者が生まれた。死んでしまった人も多数だが20キロ圏内や飯館村のように十字架を背負って生きつづけねばならない人たちもいる。それは長崎と広島と同じ運命になったのである。

posted by 老鶯 at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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