大津波、原子力事故の恐怖は何を語るのか?(時事問題の深層41へ)
今回起きたことは何だったのか?千年に一度の大津波といえ原子力事故といいそれは黙示録的様相を呈していた。今風に言えばSF映画を本当に見ているようだった。こんなことがありうるのか?これが現実なのか?それが未だに現実とは思えないほど平和な普通の生活から一転して地獄へと転落した恐怖であった。津波で被害にあった人も家族失い家も失い街すら喪失したということが現実とは思えない、茫然として立ち尽くすほかない、その悲劇は無数にあり今や語り尽くせない、本当に焼け野原になった戦後の日本と同じだった。戦後も何もないところから出発したからである。
その恐怖は本当に人類が滅亡してゆくのかとさえ思った。そういう危機は原子力事故で今もつづいている。人が故郷に住めなくなる、原発難民になるとは思いもよらなかった。戦争では難民が生まれたから福島県浜通りにも難民が生まれた。もう故郷には帰れないかもしれない悲劇の難民になるとは思いもよらなかった。飯館村が一番被害が大きくそんな桃源郷のようだったところが一転して住めなくなるほど放射能に汚染された。悲劇の村となってしまったのだ。
そうしてそこには起きていることは毎日ドラマでありそれも自分とも密接にかかわる現実のドラマだった。自分も放射能の被害者だった。こんなことを経験するとは夢にも思わなかった。まるで悪夢を見ているようだというのは本当である。避難所暮らしを今もしている人が多数いるから現実の苦難はさらにつづくし原子力事故の恐怖は簡単には解決しない延々とつづく問題になっている。
今回はプログではなくまたホ-ムペ-ジの時事問題の深層に書いた。長文になるとここがいいがアクセス状態などわかりにくい、時事問題の深層は十年間くらい書いてきたから自分のデ-タベ-スとしても利用できる。そのつづきとして今回はホ-ムペ-ジに書いた。ここは連作でもあったからである。
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