2011年04月19日

福島第一原子力発電所の事故の原因の深層 (イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


福島第一原子力発電所の事故の原因の深層
(イリイチの「専門家時代の幻想を読んで)


●専門家集団に牛耳られたことが事故の最大の原因

 


この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう。(専門家時代の幻想-イバン、イリイチ)


あなたが何を必要か断定し、処方を書く力を自分たちはもっているのだと主張する


専門家は顧客にとって最高の利益-国家理由をも上回ることがある。


専門家は現在認められている銘柄の科学的正統性を教える点で僧侶の役割を演ずる。
国の後ろ楯をもった聖職者の方にはるかに近い。


それぞれの専門職はまるで編成された教団のような観を呈するのである。


彼らの役割は傍観者、証人のそれに限定される。まるで法的プロセスとは何か大がかりな、きしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである



今回の福島第一原子力発電所の事故の原因は何であったのか?また責任は誰だったのかとかいろいろその真相が明かにされつつある。それは明かに現代文明がもたらしたものであり文明そのものにあったのだ。文明についての批判はこれまでも時事問題の深層などで書いてきた。今回の原子力発電所の事故はまさに文明崩壊を象徴的に示した事故だった。この原因を深く究明すればそうなる。イリイチの言うことがいかにあてはまっていたか納得した。今や人間は専門家集団によって無力化されている。医療でも教育でも法律でも科学でも専門家集団によって牛耳られていてその専門家集団に抗することは誰もできない、いわば昔の聖職者が専門家だからである。法律にしても素人にわかるものではない、「お前は何もわからないのだ、何も言う権利もない、法律家に従いばいいのだ」となる。そして交通事故などでも結局専門家集団の弁護士などは保険会社側に有利になり保険金は少なく見積もられる仕組みになっている。保険会社と弁護士は結びついているし大きな会社が常に有利になるようにできているのだ。医療にしても専門家集団がいて医療ミスをしてもその集団でもみ消すことが簡単にできる。そういう仕組みが文明の中に作られていて無力化されている。要するにはお前のような素人は何もわからない、専門家の命令にしたがっていればいいのだということになる。それが今度の原発の事故のことでも同じだった。本当にその構造があまりにも明確に現れたのでかえってその秘密が白日の元に見ることができた。


この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう


政治家はほとんど科学に無知であり指導権は専門家教授達が原子力発電を推進した。政治家は利権が目的であり危険でもそれを良しとした。それは自民党時代にその基礎が確立され民主党が引き継いだのである。政治家で原子力発電に反対する人はいなかった。共産党は反対ではない、安全を確立して進めるということだった。政治家が原発の核となる推進者ではなかった。でもその利権と利益の享受者であり名だたる国会議員が大臣経験者でも東電と縁戚関係にあったり密接にその利権と結びついていたのである。それは中曽根首相からはじまり原発の推進者であった。歴代の首相で原発に反対する人などいなかった。


●福島第一原発に反対した佐藤栄佐久は検察により失脚させられた!


佐藤栄佐久は福島県知事時代、原発の安全性について問題提起したが収賄事件をでっちあげられて失脚した。そして事故が昨日おきた。
佐藤栄佐久前知事失脚の後に福島県知事に当選したのは渡部恒三の甥っ子で恒三の秘書だった佐藤雄平だ。そして福島のプルサーマル原発は佐藤雄平知事の下で先日稼働を始めた。


これはネットで盛んに言われているが重大な責任があった。原発に反対した知事が陥れられたのである。渡部恒三だけではない、地元の議員はほとんど原発推進者であった。議員が力あると思っているが現代で力あるのは専門家集団である。政治家はただ利権にのっかるだけである。


この専門家の時代は政治家が衰え教授らの導きのもとに有権者たちが必要を規定する力を技術官僚に委ね、誰が何を必要としているかを決める権威を放棄してしまい、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制に決めさせてじっと辛抱していた時代であったと後世の人たちに記憶されるだろう。

教授のもとにとは名だたる原子力にかかわる学者である。それは主に東大と東工大でありここにも研究費が東電から流れている。技術官僚とは官僚の天下り先が原子力関係でいろいろな名のもとに作られていた。そして何より教育関係でも文部科学省でも原子力は安全だということを教科書に書かせて危険だということを書かせなかったのである。


●文明を維持するために原子力は必要だ


専門家は顧客にとって最高の利益-国家理由をも上回ることがある。


原子力を推進することその理由は国家理由を上回っていたのである。それは文明を維持するために車が無くすことができないように原子力も絶対に必要なものだということになるからだ。
原子力なくして今の電力は維持できないとか脅迫もされる。これは日本だけではない、文明に原子力が絶対に必要だとなっているからである。東電は国の後ろ楯をもっていたから安全でなくても東電の社長がコストカッタ-として出世できたのである。安全神話は文明を支配する専門家集団がトップとなり政治家から技術官僚から教育官僚から暴力団まで動員されていた。誰も安全ではない、危険だと言わせない体制が作られていた。要するに原子力に関しては民は盲目にされていたのである。これだけ危険なものだから安全に必死に気を配っていればそれだけ努力していたからと同情することもある。想定外の津波だったというが実際は津波の準備がないとか電源が危ないとか何度も指摘されても安全には金を使わなかった。金を使ったのは政治家や官僚やマスコミにその豊富な資金を運用したのである。それを後押ししたのが、そしてこれらの必要を満たす方法も、独占的寡占体制・・・独占的寡占体制が作り上げられていてこれには誰も批判することができない、安全神話は完全に作られていた。


そもそもアメリカの古いタイプのGE社の原子炉で作られたのでありこのGE社の批判はどこでもしない、マスコミもしない、最も恐るべきは検察は原子力の推進者でありこれに反対するものをとりしまる戦前の特高の役割を果たしていたのである。検察は必ずアメリカの意向にそうように行動する。検察にも正義などない、佐藤栄佐久は原子力に疑問をもち反対したから検察にぬれぎぬを着せられて逮捕され失脚させられたのである。これまで安全神話を形成する権力機構が作りあげられていればこれに抗することは至難になる。わずかに原子力の危険を言う学者がいたか隅の方に追いやられていた。その声は大きな声とはならなかった。ただ聞こえるのは「安全、安全」しかなかった。


まるで法的プロセスとは何か大がかりな、きしみ音をたてる機械のようなもので、一旦動き出したらその仕組みに精通したものしか近づいても操作してもいけないというかのようである


法律もそのむずかしさは素人には近づけないものにしている。そして今福島第一原発で起きていることはこのことである。もはやその専門家すら精通したものすらこの事故を収めることができない、それは人類滅亡まで通じているような危険なものだった。専門家集団もお手上げの恐ろしい結果につながるものだった。実際は原子力に精通したものはいない、本当に今や原発の全容を知り得るものはない、それは全能の神しかいないだろう。配管無数にはりめぐらせて迷路のようになっている。この配管も防水はしていなから停電になり使えなくなった。原子力は安全、安全という割りには実際は相当に脆弱なものであった。実験段階のものでもあった。だから制御できなくなる危険性は指摘されていたが独占的寡占体制ができあがっていたからできなかったのである。津波という想定外のことではない、そもそも津波にも最低限すら備えていなかった。安全に金をかけずに安全神話を作るために政治家や官僚やマスコミに金を使っていたのである。官僚というとき検察も官僚の一部であり原子力に反対するものには公的権力で刑罰を与えることができるのだからこれに逆らうことはもはやできないということになっていたのだ。

posted by 老鶯 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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