2011年04月18日

南相馬市原町区金沢地区や北泉地区の津波の被害

 

南相馬市原町区金沢地区や北泉地区の津波の被害

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土手の手前は損傷が激しい

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土手の向こう側の家は無傷だった

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泉の方面へ

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この坂の上のコンビニまで津波が来た
この坂を上れば助かった

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一葉松まで津波が来た

津波の被害の大きかったのはこの辺では磯部とか海老とか烏崎とかであった。他でも名取とか仙台でも海岸に接して平坦な所は壊滅した。松島などは島が防波堤になって1.5メ-トルしかならなかった。この南相馬市の原町区の金沢を見るともともと浦であり江戸時代に干拓したところである。青松白砂の風景は江戸時代の干拓して新田を作った人工的美であった。名取辺りでも広範囲に津波で冠水した所はもともと海だったのである。その海であったところが今回の津波で被害を受けた。金沢地区では海から近いところでも写真で見ればわかるがちょっと高い所の家は無傷のまま残っている。庭には津波が来たが家そのものは損傷していない、相当に津波は高く来たのだからあの辺もかなり損傷してもいいはずだがそうなっていない、良く見ると家の脇に土を高く厚く盛って壁となっていてそれが津波をさえぎったのかもしれない、なぜならその土手の前は損傷が激しく土手の向こう側の家はほとんど無傷だった。津波はみんな一様に被害を受けたわけではない、地形の影響もあった。堤防もここは低いが壊れていないから津波の衝撃をやわらげたかもしれない、津波はまともに当たるところだったらその衝撃は凄まじいからひとたまりもない、ちょっと高くて土手があっただけでも津波の被害をまねがれた所があった。

鹿島区の海老村は高い所にあったが海からさえぎるものがないから壊滅した。ちょっと高いと思っても被害が大きかった所もある。なぜなら今回の津波は本当に想定以上に高いものだった。
北泉の方の家々は壊滅した。坂のコンビニがあるところまで水はきた。でもその坂があってそこを逃げれば助かった。そこは歩いても行ける所だから津波警報が出たらすぐに逃げれば助かった。烏崎でも近くに山がありすぐに逃げれば助かった。でもこの辺では津波には警戒していないから逃げないで逃げ遅れて死んだ人が多いだろう。ここは明かに逃げる場所がすぐ近くにあった。歩いても走ってもすぐに安全な場所に逃げられた。でも早く逃げなかったら安全な場所が近くても死んだのである。子供のおもちゃがあったが今回の津波で死んだ人は老人は七八割くらいいたろう。高齢化社会であり特に高齢者が多い場所だったのである。それでも子供も死んでいるからこうしたおもちゃも残っていたのである。親を亡くした子供もいたから悲惨だった。


確かに今回の津波がおしよせた所は昔は海だった。桜井古墳や新地の手長明神が祭られている所はすぐ海になっていたことがわかった。つまり広い入江がありそういうところでは貝などが大量にとれて食料になっていたのである。外海に出なくても貝などはとれたから住むことができたのである。そして景観的にも入江は美しいものだった。それは八沢浦があれだけ一時期海となったことに驚いた。水の量があんなに多くなる入江になるとは思わなかった。これは想像してもなかなかわかりにくい、本当に海になったのを見たから驚いた。今でも津波にあったところから海の方を見ると一軒の家も見えない、ただ残った松が何本か海岸に見えるだけである。あとはまだ瓦礫が散乱しているだけである。いづれにしろ昔は家も何もない広々とした入江であり海だったのである。日本には実に浦が多く入江が多い、そこが縄文時代から貝などをとる生活の場となっていた。


今でも三陸でもどこでも浦では牡蠣の養殖などしているから養殖にしても浦は生活の場として変わらないのである。ただ江戸時代に浦は埋め立てられて田になったのである。日本は土地が狭いからやむをえないことだった。人口を増やすにはそうするしかなかった。でももともと海だったところや沼だったと所を埋め立てて家を建てるべきではなかった。地震で液状化で苦しんでいるのもそのためである。青松白砂の風景は一見美しいものだったがそれは実は自然を破壊したということでもあった。人間はすでに田を作るにしろ焼き畑にしろ自然を破壊しないと生きていけない、そういう業をもっていた。その業が遂に原子力発電になったのである。職業とは人間の業であり必ずいい面だけではなく自然を破壊することに通じていた。
明かにこれから未曾有の災害が大都会を襲う、それは自然に反して作っているからその被害も大きくなる。巨大なビルが倒れてくることを想像しただけでどれだけ恐ろしいことかわかる。
現実神戸の地震では起こった。結局何が被害をもたらすかわからない、意外なものが被害をもたらす、今回の津波も誰も予想もしないものだった。

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これは民間の仮設住宅か?一人用であり最近建った、外からくる人や
家をなくした人などふえたから需要が増えた。
アパ-トを借りる人も増えた。2,500円だからホテルより長期滞在用である。
場所は鹿島から原町へ六号線の坂を上りきった十字路から海の方に入る場所にあった

posted by 天華 at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処
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