大津波の後(無情の短歌)
大津波無情に奪いし命かもあまたの霊の海に浮かびぬ
妻と子と親を奪いし大津波その慟哭のやまざりしかも
今日もまた津波のあとの荒寥と死体を探す消防隊員
累々と屍のごとく家々の残骸無惨大津波のあと
津波来て生死を別つその話語られあまた忘れざるかも
身一つにからがら逃げてその話大津波の恐怖消えじも
大津波の無念無数に生き残る人の話の語り尽きじも
大津波のみこむ命数知れじ千年後まで叫びつづけむ
人作る防潮堤の今にしておもちゃのごとし津波の驚異
一瞬に家も家族も失えるこの世に生きるは悪夢なりしも
千年前大津波ありと語りたる学者の言うは誠なりしも
想定をはるかに越えて大津波人のおごりを打ち砕くかも
無惨なり瓦礫の山より思い出の品を探すやあわれなるかも
行方不明なお三〇人と軽く言うかく人命も軽きものかな
今日もまた瓦礫の山の道を行く津波の爪痕心に刻みぬ
凄まじき津波の跡の延々と東北沿岸無情極まる
今回の津波は実際にその被害の場に立ってみると実感する。一番驚くのはこんなに高く津波が来たのかということである。その高さの感覚はテレビで見てもわからない、実際に見ないとその場に立たないとわからないことがある。こんなにひどいものかというのはやはりその場に立たないとわからない、こんなことになるとは思いもよらなかった。戦争と同じだった。これほどの人間が一瞬に津波にのまれて死ぬということが信じられない、人の命も戦争のとき短歌にした人がいたがこれほど軽いものかとなる。延々と90過ぎても介護されて大事にされている時代である。そういう時代に一瞬にして人の命を無情に無数に死にいたらしめた。これほど人間は簡単に大量に死ぬものかと思う、石油がなくて焼くこともできず土葬にして埋める。その光景は戦争で死んでゆく人と同じである。これは千年に一回のできごとでも子々孫々に語られつづける。
その話も無数にあり語り尽くせない、その涙も尽きることがない、こんなことが実際にあるということ、原発事故とともに今起きていることが何なのか今理解することはむずかしい。人類の滅亡なのか、その場に立ちあっいるのかとも思う。自然の力は人間の想定をはるかに越えている。
人間の奢りは打ち砕かれた。原発も人間の奢りの結果でありそれも打ち砕かれた。この惨禍は人類の滅亡の前兆なのかもしれない、それほどに地獄絵図だったのである。