2006年03月06日

春の夜(認知症に回想法は効果的2)

swiswatch.JPG

春の夜や回想法に古時計

20年以上前の腕時計はネジ巻き式でスイス製で文字盤も色あせているが動いている。その頃スイス製が一番良かったのである。こんなに長く正確に動いているのは驚きである。使い捨ての時代とは違いこれは今でもちゃんと使っているから驚きである。認知症には回想法はかなり効果的である。過去は認知症の人にとってはこの古い時計のように正確に今も動いているのだ。今は瞬間的に次々に忘れてゆく記憶できないのである。過去の記憶は確かだからそこにもどり何回も話するのである。すでに百回以上話している。それでも病気になってから放っておくわけにいかず聞いている。聞くということが一つの治療になっている。同じことでも何かしらちょっとでも違った過去が掘り起こされると聞いている方でも聞いていてあきないとなる。これが聞く人がいないと壁に向かって話するというのもわかる。

回想法というのは老人の過去を掘り起こし共感することである。老人にとって過去の方が生き生きとした世界であり過去が現実なのである。認知症の人にとっては特にそうである。通販の雑誌を見ていても次の日には一時間後にはその雑誌を見たことさえ忘れているのだ。そしたら現在は記憶できないから存在しないことにさえなりうる。過去はしかし記憶されているから生きていることになるのだ。だから過去を蘇らせることが大事になる。それはまず老人の話を同じことでも聞く他ないのである。毎回同じとなるといやだがなにしら新しい過去の記憶が発見されることもある。

考古学というのも遠い過去の記憶を呼び出すことであり想像力のいる仕事なのだ。一つの陶器のかけらを堀りだしてもそこから想像力で当時の生活を思い浮かべる作業が必要になって来るのだ。ただこの回想法を効果的にするにはその人を良く知らないとだめなのである。百人百様の世界があり個別的だからそうなる。その個々の世界に対応しにくいのである。だから若い人は回想法に向かいないかもしれない、なぜなら過去を共有しにくいのである。一方50代以上の人は80代の人と共感しやすい、私の子供の頃は戦前の生活とたいして変わらなかったからだ。燃料は炭であったり水道さえなかった時代である。井戸水を使っていたのである。「回想法」ではそれぞれの老人の人生に直接触れることでありこれはその聞く本人もかなりの人生経験がないとできない、例えば戦争の話を聞いても経験していないと共感の度合いは薄いもきとなるからむずかしいのである。

自分のパソコンにspywareが入ってきて混乱した。急遽ソフトを買いなんとか駆除したがまた入ってきたりやっかいなものである。おそらくこのプログからメ-ルに送られたトラックバックの知らせを開いたことで感染したのかもしれない、何十とかのトラックバックが来ていたのだ。外国が多くこれは内容とは関係ないものである。これを開いて感染した。パソコンもインタ-ネットもこういうことがあると嫌になる。トラックバックはわかりにくい、だから放置していたのである。いづれにしろなんだかいろいろな災難が自分にはふりかかってくる。認知症の災難、これは人生最大の災難だった。こんなものがあること自体信じられない世界であった。この世を生きるとは死ぬまで何が起きるかわからない世界だということである。死ぬ直前まで人間の最後はわからない、そこにも思いがけないことがおこる。死自体が最も思いがけないことであるからだ。
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