2011年03月05日

春北風(はるきた)(2)


春北風(はるきた)に松風鳴りて右田浜


春光に一艘白し船の行く

陸地には北風なおも吹きにつつ沖行く船の春日に白し

首吊りがもし右田浜の松林であったらまたは松川浦であったらいつも行っているところだから影響が大きい。外からくる人にしてもわからないからいいかもしれないが自然の美がそこなわれる。やはりそういうふうな場所には何か残る。死んだら何もなくなるというが何か残っている。そういうものを直観的に感じる。これは理屈の問題ではない、人間は絶対に無神論者にはなれないようにできている。死んだら何もなくなるということはありえない、現実にそんな悲惨な死に方をした場所には行きたくなる、縁起が悪いとかなるし自殺した場所にはまた自殺する人がやってくる。自殺者をひきつける場所となるというのもそのためである。現実にあそこの場所は地元の人でないとわからいだろう。人の入らない陰気な場所だった。首吊りするにはいい場所だったのかもしれない、ともかくこういうことはあとあとまで後味の悪いものとなる。つくづく本当に犯罪って身近なのである。次はあなたの番だということを自らも感じた。田舎でもこれから犯罪が次々に起こる。犯罪なんか他人事だと思っていたが被害者になること確率的に非常に高くなっている。だから次はあなたの番だと言っても過言ではない、それだけ犯罪が身近になったことを知るべきである。そもそも田舎でも人は信用できなくなっている。昔の田舎とは全然違うことを認識すべきである。田舎だから安心だなどということはない、人見たら泥棒か犯罪者だと疑った方がいい、残念なことだがそういう時代になったのである。もはや誰に対しても油断はできない、犯罪は本当に身近な問題であり次はあなたの番になる。


春北風(はるきた)というとき今日は春北風(はるきた)だったのだろう。昨日は北風でも寒かった。今日は昨日よりいいから春北風(はるきた)と言えるだろう。右田浜は松風がいつも鳴っている。
海にいたのは小さいから鵜ではなく鴨だったのだろう。でもなぜあんなに浪をかぶってまでいるのか河口の静かな場所にいればいいと思うがわからない、海を見ていると遠くに行きたくなるが今や行けない、旅することは贅沢だった。時間も金もかかるからだ。でも旅してもつくづく本当に見ていない、富士山なんか良くみていない、場所がいいところでないと富士山は良く見えないからだろう。富士山はもっと見てみたい、しかしまず介護になると近くに外出するだけで大変である。代わりがいないから苦しいのである。

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