2011年03月01日

春寒し図書館


図書館に初老の人や春寒し


図書館に久しぶりに行った。調べ物あったけどこの前もわからなかった。図書館で調べ物するとなると一日係になるのだろう。本は一冊一冊読むもんだけど何か調べ物するときは実際は何冊も関連するものをよまないといけない、だから郷土史関係などは調べるとなるとよほどの暇人でないとできない、前は暇人だったからできたのである。原町区の大原を知りたくても何も調べようがなかった。江戸時代からの村であることはわかってもそれ以上のことは何もわからない、
ただ一つ「大原山人」と号した人が隠居した場であったことは確かである。それ以外過去について何もわからない、萱浜開拓については原町史に詳しく出ていた。

図書館の効用は相当疑うべきものとなった。それは本の効用がインタ-ネットで変わった面がでてきたからである。昔だったら図書館は知的刺激のある魅力ある場所であり欠かせない場だった。それはとりもなおさず本がすべての知識を得るものだったからである。でもインタ-ネットの世界が生まれと知識はそもそも場所もモノとして本を配送する手間のいらないものとして伝達されるようになった。だから資料などは電子化すればいい、そうすれば確かに図書館という情報を資料などを納める倉庫としての図書館は必要なくなる。図書館も本も電子化の要求があり古い本の集積庫の機能もありそうした中途半端なものとなってしまった。だから効用姓は半分に落ちてしまったのである。全国レベルでみると郷土史は膨大なものになる。全国レベルで郷土史研究はインタ-ネットの方がすでに一図書館などをはるかに凌駕している。福島県関係の市町村の本があるがそうしたものもいざ調べるとなると手元にないとできない、いちいち図書館で調べているとめんどうになるからだ。要するに図書館はそれだけ暇人しか調べものもできない所なのである。福島市に巨大な図書館があっても役にたたない、そこまで行かなければ知識にアクセスできないからでてある。


図書館は本を読むというより駅がすぐ近くだから待合室とか集会所とかそっちのほうに効用があるのかもしれない、建物と場所にはそれなりに意味がでてくる。インタ-ネットではどうしたってある場所にいる感覚はでてこない、地図を見たってでてこない、空間感覚はその場所にいない限りでてこない、歴史も結局地理だ言うときその地理感覚は地図を見たって実際にその場に立たない限り得られれないものなのだ。だから郷土史はそれぞれの土地に根ざしたものだからその土地の人でないとわかりにくいとなる。

 
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