2011年02月25日

ホロコ-ストはなかった?(何が歴史的真実なのか)


ホロコ-ストはなかった?(何が歴史的真実なのか)

●イラクを侵攻する正当性は何もなかった


自分は別に特別世界史とか詳しく勉強しているわけではない、イラクのアメリカ軍の侵攻の時もニュ-スを普通に見ていれば別に学者でなくてもなぜアメリカ軍がイラクに侵攻しなければなら解せなかった。確かにフセインの独裁は目立ちアメリカには目の上のタンコブになっていたことがわかる。でも多国籍軍を編成して軍事侵攻することは独立国の主権を犯すことであり明かにかえって侵略になる。民主主義の本元のアメリカでそういう横暴が許されるのか疑問だった。
それで9・11のニュ-ヨ-クのテロはユダヤ人がアメリカ人がしかけた陰謀説が盛んに言われたのも何ら正当性が見出されなかったからである。大量破壊兵器なども現実にはなかった。では一体何が目的イラクに侵略せねばならなかったのか?イラクとイランの戦争でイラクに肩入れしたのがアメリカだった。今もイラクのシ-ア派が台頭して中東のデモにも影響している。フセインがアメリカに対抗しているのはカダフィ大佐とにている。しかし今やその内部から地殻変動が起きている。国民のデモが中東に拡大化して独裁者を倒そうとしている。それこそ民主主義を民衆が実現している。アメリカによってイラクのように侵略しなくても民主主義が実現しようとしている。おそかれ早かれフセインもそうなる運命にあったのだ。別にアメリカがイラク国家の主権まで犯して軍事侵略することは世界的に見てかえって国の主権を犯す犯罪行為でもあった。世界世論でもアメリカのイラク侵攻はやりすぎだとなっていた。それなのにアメリカは世界の世論を無視してもイラクに侵攻した。日本が多国籍軍に参加しないのかと日米同盟を無視のするのとかなんとか脅迫された。アメリカの圧力にかなわず巨額の軍資金をアメリカに出さざるを得なかった。でも何らアメリカには評価されていない、そもそも参加する正当性がないのに力で強要された。このことは別に自分が特別世界史を勉強している専門家とかではない知識も不足している。でも素人でもそのおかしさが目立っているからそう思ったし世界の多くの人もそうだったのである。アメリカの強い意志と横暴のためにイラクはアメリカ軍によって一方的に蹂躙された。

●ホロコ-ストも戦後勝者によって作られた


ホロコ-ストもなかった、ガス室も発見されないし物証は何もない、ただ人々の証言だけで誇張されたのである。まず600万が殺戮されたというときそんなことが可能なのか?と普通に思う。
実際そんなことは不可能であった。それからナチスが空恐ろしいものドイツ人はナチスのために戦後印象をひどく悪くした。そんなことまでドイツ人はするのかいうことになって責められた。
これもまたドイツというキリスト教的伝統があり優れた芸術を生んだりした歴史と文化がある先進国がそんなことをするものだろうか?ヒットラ-はそんなに悪魔的存在だったのか?今のアフリカだったら部族争いとか原始的状態の虐殺が報道されてもそういう国かと思うけどドイツは全然違った国である。日本も模範とすべき国として西欧化したとき習った国だからである。現実にドイツ人は勤勉で実直で真面目な優れた民族である。要するにナチスがイメ-ジするものと歴史と文化の映えあるドイツとのギャップが大きすぎるからである。やはり戦勝国のアメリカをはじめとして勝手にドイツを極端に悪者としてそのイメ-ジが作られた。それは敗戦国の日本にもあてはまる。日本もまた南京大虐殺だとか誇張されて日本のイメ-ジを悪くされる。


歴史は勝者の歴史だというとき敗者は勝者によって勝手に作られた悪者にされるのは日本史でも世界史でも同じなのだろう。歴史的真実が何であったのか、その見直しが必ず成される。アメリカの力が支配が弱まり世界的力が変化したときアメリカは悪く言われるようになるだろう。アメリカも戦争責任があり断罪されるべき国だったということになる。一方的に正義を主張することはできなくなる。
人間はどうしても常識を脱したことを理解できない、ユダヤ人を600万もガス室で殺せるものだろうか?そんなことまでできるものだろうかとかなる。それよりアメリカの原爆投下のことが空恐ろしことではなかったかとふりかえるとなる。それは戦争の結果としてもたらされたアメリカの大量虐殺だったのである。ナチスのユダヤ人迫害があってもガス室での大量虐殺は作られたものでありなかった。そういう歴史の見直しが必要なのかというとやはりドイツ国民の名誉の回復であり日本人の名誉の回復に通じているからだ。でも現実はそうした批判すら許されないのはアメリカの力が背後にユダヤの力が働いているからだというのはわかる。未だに戦後の敗戦国はそうした扱いを受けていて批判を許されない、でも力関係が変わるときそうした一方的なアメリカよりの見方は変わることになる。


●人間は作られた虚構の話を信じる(姥捨山伝説はありえなかった)


何が歴史的真実かというとき、姥捨山伝説は作られたものであり実際に自分の親を捨てるようなことはなかった。これも何も詳しく調べるまでもなく人間はそんなことまでするのか?親を捨てることはそんなに多くできるものなのか?第一そんなに長生きしていない時代に親を捨てるようなことはありえない、これも常識的に見てそんなことありうるのかという疑問から発しているのだ。
それより間引きというのはかえってありうる。子捨ては現実に今でも起きている。中絶も頻繁に起きているし水子供養は今でも行われている。これはかえって今も変わらぬ現実的問題である。でも親を捨てるということは今でもない、介護関係でもう介護つづけられないと殺すことはある。これは元気な内から食い扶持を減らすために山に捨てるというのとは違っている。姥捨山伝説は為政者によって親を大事にしなさい、老人を大事にしないという目的で作られたものだった。つまり為政者の意図があって物語が作られて広められたのである。歴史も勝者によって作られるというとき勝者のいいことばかり誇張され敗者は悪者にされるのとにている。アメリカの意図がありアメリカの都合のいい物語がストリ-が作られる。それが誇大化するとユダヤ人陰謀史論になってしまう。人間は歴史を知るにもドラマのように面白くてわかりやすい方がいいのだ。だからドラマの方を信じて歴史的真実は見逃される。そこに歴史を見誤るものがある。特に最近はそういうことが多い。事実とドラマは違っている。いちいち事実を調べるとなるとそれは学問になりめんどうになるから庶民はドラマから歴史をみてしまう、そこに姥捨山伝説なども信じられてしまう危険があった。人間はかえってそうした虚構を信じやすい面があるのだ。

posted by 老鶯 at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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