2011年02月21日

女性の心理の謎(ニ-チェの言葉より)


女性の心理の謎(ニ-チェの言葉より)

あまりに長い間、女性の内部には奴隷と専制者とかかくされていた。

それゆえに女性にはまだ友情を結ぶ能力がない、

女性が知っているのは愛だけである

女性の愛には彼女が愛していないいっさいのものに対する不公平と盲目がある

また知をともなった女性の愛にさえそこになお光と並んで発作と稲妻と闇とがある

ニ-チェ-ツアラストラ(友)



人間は読書して実際はうわべだげであり読んだものを記憶すらしていない、読書することは深く読み自分なりの解釈を与えることである。ただ読んだだけでは血となり肉となることはできない、そししていかに人は本を読んでも読んでいないかわかる。本買っても積んどくになっているかわかる。二-チェの本は読んでも理解しにくいだろう。この一文も誰かが紹介していてこれは女性に対しての深い洞察があると自分の経験からきづいたのだ。自分が女性について語ることはできない、でも女性の一般的心理なるものはある。女性そのものも謎にしてもある。その一面がこの文に示されていた。


女性が知っているのは愛だけである


この女性が知っているのは愛だけであるというのは女性の一般的な心理である。女性の愛は特定の人にささげられる愛情である。夫であれ子供であれ特定の人にささげられる愛情である。一方でその逆は


女性の愛には彼女が愛していないいっさいのものに対する不公平と盲目がある


となり自分の愛さないものには無関心であり冷酷非情にたやすくなる。女性には万人を愛すなどという愛情はもちえない、自分が愛するものには尽くすがその他は全く冷酷になりうる。その裏返しは自分がそれだけ愛したのだから自分も愛してもらいたいという独占的愛なのである。
女性の視野は狭く自分が目に見えて愛しているものの他は見えない、無視されるのである。
それがいい悪いとかではなく本能的にそうなっているのだ。だからこそ愛情をもって子供も育てられるし夫に愛情をもって尽くすことができるのだ。でもこれは男性的原理とはかなり違ったものとなる。男性的原理はそうした女性の褊狭的な愛とは違うものを目指して社会は作られてきた。法律でも公平を目指して作られてきた。女性的な愛からすれば愛しているものを罰することさえできなくなる。愛している人は罰せられるべきものでもなくなってしまうからだ。


女性の愛にさえそこになお光と並んで発作と稲妻と闇とがある


女性は突然心変わりがする。理屈を越えて発作的にひどい仕打ちをする。女性は自分の愛していないもの、かつて愛していても愛さなくなったものにたいしては冷酷非情になりうる。それは女性が特に感情の動物である。感情的に反応が敏感だということに通じている。好き嫌いと愛している愛していないすべてのことが決められる。そこに法律のような公正なものの追求はない、女性の一般的心理としての特徴がここにあった。女性に科学者などがまれなのはやはり科学も万人からみて納得がいく公正さを追求しているからではないか?特定の人とか何かに偏る愛情ではない、万人共通の公正さを追求している。そういうものが女性に欠けているから真理とかの追求に向いていない、女性の哲学者がいないのもそのためだろうし哲学から科学が発展したことでもわかる。女性の本分は愛情にあり愛情によって充たされるようになっている。その愛情は子供とか妻とか自分が愛するものに尽くすことにある。この愛情は友情とはなりえない、友情はやはり公平なものを追求している。褊狭な愛情とは違っている。でもそれはまた男性も支える愛情なのである。ただ危険なのは突然発作のように稲妻のように冷酷非情な仕打ちを平気でする。
だから女性の犯罪はそうした自分の愛情が裏切られたとかで起こす犯罪が多いように思う。
女性は肉体だけではない精神的にも相当違った存在なのである。



ともかく読書してもその本を読んでいない、読んでいるように錯覚している場合も多い。本を読んだからといって読んでいるわけではないのだ。なぜこの一文を注目したかというと本屋で立ち読みしていて発見したのである。立ち読みして新しい発見をする場合がある。場所を変えて本を読んでも同じ本を読んでも新たな発見をする場合がある。それだけいろいろな見方ができるのが本であり人の思想なのである。本屋は立ち読みするということにかなりの意義がある。なぜならそもそもそんなに多くの本を買うことができないからだ。部分的に読むということもかなりあるからだ。インタ-ネットではそうしているが本だとまだ選ばれたものが書いてある、要点を書いてあるということで参考になるからだ。でも一冊一冊本を売るとかには限界が来ているのではないか?インタ-ネットなら問題はあるしろ膨大な本がある書店ともなっているし代わりの役目を果たしていることでもわかる。無料の立ち読みになっているからである。そういう点でも本が限界に達してきているのかもしれない、一冊一冊にして売るということが限界にきたのかもしれない、本を買い集めるにしても一人では限界がある。当然そこには知識の限界が生じる。インタ-ネットはそうした本からの知識を吸収するという限界を破るものとしてもあったのだ。


完膚無きまで相手を攻撃する
http://www.ml-info.com/weekly/archives/2001/010721t.html

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