2011年02月05日

松川浦の暮らし


松川浦の暮らし

船迎え松川浦に妻たちの神社に祈る冬のくれかな


NHKテレビで松川浦のことを女性中心にして昨日放送していた。地元のことでも農家のことを街の人は知らない、漁師のことも知らない、庭作りして直接仕事してもらい話を聞いてわかったことがあった。やはり仕事としてかかわったからこそわかったのである。テレビを見ただけでもわからない、情報はすべて一部なのである。松川浦を語るとしたら実際はそこは現代の文明を反映した複雑な地域となっているのだ。地元の人ですらそこを全部知り得ようがない、今回のテレビでもほんの一部の情報にすぎないのである。ただもともと漁師と農民の相違は大きかった。仕事の性質が根本的に違っていた。でも日本は古来から海彦山彦の国である。海の幸と山の幸の国なのである。平地の幸は外国から米作りが導入されたできたものである。


貝を好むこの神は、その長い手を伸ばし、太平洋の貝を採って食べていたそうです。その手長明神が食べた貝が「新地貝塚」になったという言い伝えも残されています。 .


すでに縄文時代から貝を常食として生きていた。貝なら外海に出なくてもとれるからそうなった。縄文時代は入江とか湾が多かったし河口も広いからそこが生活の根拠になったことは今でも察しがつく。そこは外洋のように危険な地帯ではないからである。丸木船くらいでなんとか生活できる世界である。外洋に出るとなる大きな船が必要になるからだ。


漁師の生活は言葉にも残っている。シケているとはシケは海が嵐とかのことであり漁に出れない、それでシケているとは陸に出れば不況のことになる。それは漁師の言葉が陸地の言葉になった。漁師は天候に左右されることが多い、また遭難も定期的に起きている。海は昔から怖い場所である。不安定な場所である。だから今でも神社に妻が無事を祈っている。でも今はGPSとか携帯とか様々な機械が頼りになるのはどこも同じである。妻たちの仕事でもこの辺では普通の職より金になっている。魚はとれれば今は高いし売れるから金になる。それで多くとれたときはポ-ナスまで配給される。漁獲高によって収入が極端化することがある。大漁になれば普通の何倍もの収入になる、だから漁師の気質は農民は相当違って気が大きいとか性格が荒っぽいとかなる。松川浦でもどこでも神社があるときそれが生きているとしたらやはり妻たちが無事に帰ることを祈っているということで神社が生きていることになる。それは何に祈るにしろそういう海の暮らしは漁師の暮らしは変わらないためである。

 


何度も頭から波をかぶりながらの帰港
途中さらに大きい波くらって
樽が横倒し・・

台風で上げ網をしてから
そのあとは低気圧通過と
もう5日も水揚げをしていない
http://osakana83.no-blog.jp/nori/2010/11/index.html


相馬の水源地でもある宇多川の上流域に
産業廃棄物埋立処分場の建設計画があり
その阻止のためとか・・
-
それが建設されてしまったら・・

宇多川が流れ着くのは「松川浦」
海苔やアサリなど豊かな漁業資源
http://osakana83.no-blog.jp/nori/2010/03/index.html


ここのプログは本当に松川浦の漁師が書いているから実感がある。これを読んだだけでいかにこの松川浦だけでも理解するのに複雑なものとなっているかわかる。宇多川の上流が汚染されれば松川浦にその汚染された水が流れ込むから養殖の海苔の生産に影響する。橲原に産業廃棄物を埋め立て地を作ったから明かにあそこはきれいな場所でも下流に何か汚染されたものがしみだしてくるから汚染されているのだ。松川浦の場合はそこで漁業やノリの養殖をしているから余計に深刻になる。それから火力発電所から排水問題もあり調査している。それが漁業に影響しているかもしれない、また松川浦は干潟だからそこから栄養源が海に流れて魚が寄ってきたりと干潟はやはり人間にとって昔から生活しやすい場所だったのである。縄文時代はこの干潟や入江が多かったからこそ手長明神のような伝説が全国に残っているのだ。

松川浦というとあのテレビだけを見た人は鄙びたみちのくの漁港のように勘違いするだろう。実際は火力発電所があり工場地帯にもなっている。テレビで東京の工場の人が来て地元の青年に特別の技術を伝播しようとすることが放送されていた。これは相当な高度な熟練した技術である。それを東京から来た年配の技術者が地元の青年に伝えようとしている。それも漁師の生活とはまるで違う現代的な生活なのである。それから相馬港には「飛鳥」が寄港したこともあった。中国人が日本海の港に着くつもりが相馬港に流れ着いて「東京はどこだ」とか食堂の人に聞いてつかまったとかの話しがある。それから面白いのは


ランチョウ(変な魚)
http://osakana83.no-blog.jp/nori/2009/02/index.html


人間が流れ着くだけではない、変な見たことのない魚も流れ着く・・・

変な熱帯魚のような魚?
漁師も知らない魚
どっから魚はやってくるのか
魚の種類は多い
なお海は底知れない神秘
海は広いから得たいの知れないものが
流れてきても不思議じゃない
そんなものが漁師の網にかかる
鯨だって流れ着く
海はでかく計りしれない
太古の海にはフタバススギリュウが
波をきって大海を自在に泳いでいた
海は今も計りしれなく広いから
得たいの知れないものも流れ着くんだ

 


熱帯魚は現実に波立海岸に小さいのが流れ着く、親潮と黒潮の境目が松川浦にもあり魚資源が豊富である。でも今は松川浦の魚を食べている人は地元でも少ないだろう。相当に高いからである。行商の人も最近ずっと来ていないのはなぜか、また病気なのか、行商の人は生きのいい魚をもってくるからうまい、ス-パ-のは古くなっているからまずい、魚は新鮮なのが一番うまいけれども高いから買わない、でも魚は稀少になっているからいくらでも売れる、高く売れる、通信販売でも売れるし産地直送でも東京に運べば高く売れる、ただ今は魚がとれないから高いし魚離れになった。ともかく太平洋沿岸は浦とか湾になっているところがまれでるるから松川浦は小さいにしても貴重なものとなっている。浜通りには海の暮らしと山の暮らしがあるのが違っている。山の暮らしとして原町区の大原のことを聞いてそこの人が戦後の食糧不足の時、猿まで食べたというのは山だからこそだったのである。海だったら魚が食べられたからそこまですることはなかった。
posted by 老鶯 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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