自暴自棄になると人間は怖い
(エジプトのデモの原因と老人問題の共通性)
エジプトの貧民向けに政府給付金付パンというのが売ってるんだけど、その補助金がカットになって 貧民がパンを買えなくなった
エジプトの貧乏人は銃弾で死ぬことを恐れていない。
エジプトに行ったことあるけど貧困国家なのである。子供がロバにのってワンド-ラ-くれとかやたら金を要求される。それを恥として子供をたしなめていた人がカイロにいたけど貧しいということが根本的な原因である。失業者が多いのも政治の不安定をまねいている。若者が多く観光にたずさわる人も多い、それがかなりの収入源となっている。麦の畑から突然子供が金をくれとかとにかく貧しい国家なのである。エジプトボンドが紙幣なのはイギリスの植民地だったからである。イスラム圏は貧しいけど人口が多い、特に若者の数が多いのだ。貧乏人の子だくさんなのである。その人たちが職につけず不満を募らせる。観光だけでは職業としてプライドがもてないだろう。エジプトではアラブ人は遺跡にそんなに興味をもっていないらしい。ただ観光客が来るから金になるから飯の種として遺跡を宣伝している。エジプトはそもそも近代化の要件として工業化していない、エジプトで何か生産されれて輸出されるものがない、他の中東諸国では石油があるがエジプトにはないから余計に貧しさが目立つのである。今回の暴動の原因が貧民にパンが配給されなくなったためである。貧困は実際は恐ろしいものである。人間食えなくなったらどんなことでもする、もう死ぬほかないとデモに参加している人が言っている。それだけ貧困で追い詰められているのだ。人間は追い詰められればどんなことでもする、他者の命も奪うし強奪も平気でする。デモが暴徒化して略奪していることでもわかる。それは抑えることができなくなる。そういうとき一部の支配階級とかは危険にさらされる。民衆の不満がそうした一部の特権階級に向けられるからだ。
●自暴自棄になる老人の恐怖
話は変わるけど日本でも中産階級が没落していくことはかなり社会的に危険なことである。社会を不安定にする。格差は常に社会を分裂させて不安定にするのだ。日本も今までは高度成長があり中産階級が増大して社会的には安定していたがこれからは中産階級が没落してゆくことは社会不安をうむ。アメリカではすでにそうなっている。一部の極端な富裕層と中産階級が没落してかつてのアメリカの豊かさはなくなったという。それは日本でも同じなのである。中産階級が没落してゆくことは社会不安がまし治安も悪くなる。そしてこの影響は高齢化社会の問題と共に社会をさらに不安定にするのだ。
正直、年寄りのナマポ世帯の我が侭は出来る限り言う事聞いた方がいいと思うよ。
いいと思うよ。
片足をあっちの世界に突っこんでる老人というのは、一種の爆弾みたいな存在だからなw
逮捕されることなんてまるで気にしてないから年寄りの犯罪が激増しているだろう。
今回みたいにナマポのことで一々裁判起こしてくれるなんて稀なケースだし
こういう老人を追い詰めると平気で火つけるよ。
60以上になると犯罪が極端化するかもしれない、この世代になるともうあとがないからと本当に犯罪すら恐れない、どうせまもなく死ぬんだ死ぬ前にやりたいことをやろう、待ってなどいられない、金なければあるやつから奪えばいい、せこく働いても今の時代は時給などしれたものだから金にならないとかで金のある高齢者をねらって奪いばいいとかの感覚になる。そこにかつて日本人がもっていたモラルが喪失している。そもそも今の若者は老人を大事にしない、税金の無駄だから早く死んでくれとかそんなことしか言われない、そうなると老人の方でもモラルが後退し心がすさんでくる。どうせ敬意も払われないし子供から邪魔者扱いだ。金さえあれば違う、金の力には若い者も屈伏して従うから金が欲しいとなるのだ。要するに今60以上とかの犯罪が凶悪化して極端化する傾向が強くなってくるかもしれない、万引きくらいならいいがもっと荒廃した犯罪がふえてくる。それは社会にとって恐ろしいことなのだ。そういう被害を受けたから田舎も関係ない、もはやかつての日本の道徳はもっていない、価値観が変わりただ金だけがすべての価値となってゆく恐怖がある。金さえあればどうにかなるんだということがこれまでの生活の中でたたきこまれているからだ。他人をいたわるとか同情心もなくなっている。そういう心の余裕がないのである。
●心の余裕がない人はその人自体が危険
心の余裕がない人とつきあうとき非常に危険であることを知った。例えば多額の借金している人はまず心の余裕がないから何か働くことに向いていない、頭の中がいつも金のことで借金のことで一杯だからである。こういう人は特に福祉関係の仕事につくのは一番向いていないのだ。相手を慰め哀れむ心などもてない、自分がなぐさめてもらいたい方だからである。借金に追われ生活しているのだから全く心に余裕がないからだ。これは別に借金している人とは限らない、貧しい人は心に余裕がない、絶えず自分自身に不満だから何か足りない足りないと思っているからそもそも他人に奉仕するような仕事には一番向いていなかったのである。それはヘルパ-や手伝いの仕事などでもそうである。心に余裕がないとそもそも認知症であれ何であれ介護はできないと思う。要するに介護は心に余裕ある人しかできない、心に余裕があるということは大事なことである。何かしら人と接して仕事するとき心に余裕がないと相手に確実に影響する。認知症の介護などは特にそうである。微妙にその人の心に反応するからである。いつも介護する人がいらいらしていたら介護はできない、そうは言ってもそもそも介護する人は金に困っている人とかがするのであり心に余裕ある人はかえってしないのである。おそらくのんびりとゲ-トボ-ルなどししている老人は余裕があっても介護はしない、つまり金に困っている心に余裕がない人が福祉関係の仕事をしている、手伝いの仕事でも金に余裕のある人はしない、そういうふうに心に余裕がない人が仕事していることはかなり社会に悪影響する。特に対面的な仕事である介護とかにはそうである。でもそもそもそれだけ余裕をもって福祉関係の仕事をしている人はまれなのである。ボランティアなどはまれだしみんな金に困っているからこそ薄給でもやっているしそれでさらに不満が募り心に余裕がなくなっている。
江戸時代が終わり明治になったとき外国から来た人が日本人がいい顔していたというとき貧乏であったのだけど余裕ある顔していたのではないだろうか?今のように豊でもギスギスして心に余裕のない人で満ちている社会とは違っていた。だから必ずしも豊だから心に余裕がある人かふえるとはならない、かえって欲望が肥大化して心に余裕がない人が増えてきた現代社会をみればわかるのだ。モノがあふれる、欲望が刺激される、そしてその欲望が充たされないと不満になり心に余裕ができないのである。特に不況になるとその不満は一層強くなり中産階級の没落は社会的に影響が大きいのである。とにかく投げやりになる老人や自暴自棄になる人は怖いのである。若者も自暴自棄になるとエジプトのようになる。若者は行動力があるから特に怖い。それはいい面としては革命になるがそれがうまくいけばいいが実際はフランス革命のように社会の無政府状態にすらなり社会全体が深刻なダメ-ジを受ける。それがグロ-バル化で世界中に影響するから恐怖なのである。