2006年03月02日
日永(認知症には頭の活性化を)
日永きやペットボトルの風車
春夕陽ペットボトルの風車
鵜の一羽川より海へ春の夕
日が永くなり畑のペットボトルの風車が回っている。ちょうど夕陽が山に落ちてゆく。川を上って飛んできた鵜が一羽が海に帰ってゆく、そこには広い海が広がっている。しかし認知症の介護の困るのは付ききりで相手しなければならないことなのだ。話相手でもなんか一人にしておけないのである。今のところ治療のためにいろいろ付き合うほかないのだ。つまり頭の活性化が必要なのでいろいろ興味を喚起したり家事をさせたり機能回復を試みているのだ。ただそのために自分の時間がなくなってしまったのである。まあ、余裕もできたので春の日永の一日を川べりですごした。
認知症になるのはやはりなる前に頭の活性化が確実に必要であったのだ。ただほとんど自分は自分で頭の活性化をしてきたが家族とはほとんど話もしていなかった。それが認知症にしてしまったというのはわからないが確かにそれはある。だから今治療のためにつききりでいろいろ話を聞いたり一緒にテレビ見てもああだこうだと興味を喚起するために話している。それが多少効果あったのか、脳が活性化されたのか良くなった面がある。ただではゲ-ムとか花札やると認知症にならないとかいのうはありえない、花札が面白いなどと思うのは極わずかでありゲ-ムもそんなに脳を活性化するとは思えないしかえって脳をゲ-ム脳にするかとか退化させることもありうるのだ。言えることは認知症を防ぐには濃密な人間のコミニケ-ションが必要でありそれをしていれば防ぎやすいかもしれない、だから一人暮しの老人は認知症になりやすいとかなる。でもこれも統計的にどうかとなるといちがいには言えないのだ。いづれにしろ老人をかまわずほっとくと認知症になりやすいことは確かである。なんらかかまってやらないと認知症になるからそれを試みていた方がいい、認知症になったらとんでもない大変なことになるからだ。
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