夏菊や一駅過ぎて走りさる
もの思ふ青葉の影濃き定禅寺
定禅寺青葉に深き影なして久々にして我が歩むかな
また久しぶりに仙台に行った。最近なかなか行けない、久しぶりに行くとやはり何か新鮮にもなる。仙台は通勤圏だから見るべきものもなくなっているが実際は違っている。仙台が青葉の街だというとき確かに欅の影が深い定禅寺通りは趣がある。あそこにある喫茶店は立地条件がいい、喫茶店は立地条件が左右する。でも今は喫茶店だけではやっていけないのでめっきりすくなくなった。160円では安すぎるのでケ−キを買うことになるのも不思議だ。安いと別なものを買うことになる消費者の心理がある。あるものは安くしてもべつなものでもうけるのも商売である。都会にもこうして自然があると憩えるところとなる。盛岡なども街のなかを川がいく筋か流れているからいい街なのである。
電車にのるのはやはり気持ちがいい、若き女性はまさに野茨である。茨(いばら)であり刺が鋭い、都会というと仙台とかそれから平泉から盛岡は散策にはいいだろう。この辺はなんとか日帰りの範囲ではあるがそれすら今や余裕がないから行きにくくなるなど考えもしなかった。今や自由の身から捕らわれの身になってしまったのだ。
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