2011年01月14日

弱者が食い物にされる社会(生活保護者へ必要のない手術や治療で病院が稼ぐ)


弱者が食い物にされる社会(生活保護者へ必要のない手術や治療で病院が稼ぐ)

奈良・大和郡山市の山本病院が、診療報酬を不正請求したとして、理事長ら3人が詐欺の罪で起訴された。
生活保護受給者は、医療費の自己負担がなく、診療報酬は自治体または国が全額負担する。
この制度の悪用である。
病床80のうち6割を生活保護受給者が占め、この7割以上が、症状もないのに狭心症のカテーテル検査や治療を受けていた。また嫌がるのをベッドにしばりつけて、検査されたという患者がいた。


転院させ検査漬け
年間300件のカテーテル検査は、同規模の病院の中では、突出している。元看護士は、「月に20件というノルマがあった。
また、家族のない患者が多い。亡くなっても追及されることがないから」という。
裁判で理事長は、「病院の新築で5億円の借金をした。経営を安定させるため、生保患者にできるだけ手術をした」といっている。

カテーテルの検査は1件60万円から100万円以上。ほかにカテーテルの納入業者から200万円のリベートをもらっていた。同病院の不正情報は、10年も前から奈良県などに寄せられていたが、診療の内容まではわからなかった。
また、患者の側にしても、病院にいる方が路上生活よりはいいからと、声にならないのだという。

http://unkar.org/r/news/1257318219


弱者を食い物にする貧困ビジネス
http://hanamama33.blog130.fc2.com/?mode=m&no=22

 


この事件は怖い、なぜなら自分自身も家族がないということで恐怖を感じたからだ。市立病院に入院した隣の人は九四才で重傷だった。生活保護であり特養から来た人であり誰も見舞いに来る人はいなかった。家族がいなかったのである。痰がつまりその痰をとるとき苦しんでいた。意識があるのかどうかわからない、ただ断末魔のよう叫び声をあげるだけだった。あ-あ-う-う-と夜叫んでいたときは眠れなかった。この人は何のために生きているんだろうと思った。肉体は確かに物理的には生きている。でも精神は死んでいると思った。ただ肉体だけが生存してその肉体は苦しむだけなのである。そして生きている尊厳はない、看護師はそうした人でも世話している。肉体の世話はして生き延びさせている。ただからかわれおもちゃにされているようなところがあった。もう人間としてみられていないということもあった。ただそれでも肉体だけは生かされるこれも地獄じゃないかと思った。人を助けることが実際はただ刑罰のようになっていることがあることを知った。この人は生活保護から施設に入ったが誰も家族も来ない、ただ肉体だけが物理的に物質的に生きている、でもその肉体が詰問のように苦しみしかない、治療して長生きさせられるが苦しみのみが長引かされているのだ。


これも家族がない、身寄りがないことでこうなっていたのだ。もう精神は死んでいる、肉体だけが生かされているがその肉体は病院では国からなど金を生み出すものとしてないのかもしれない、同情するとかではない、精神は死んでも肉体が生きていれば治療すれば金が入るから入院させておく、そこにさらに病院側で金をとるためのいすいろな手法がある。その極端なことが必要もない手術までしていたのである。もうこういう人は病院の人体実験とかとにた価値しかない、そしてそういう危険な必要のない手術をしてもとがめられることもないのだ。家族がないし見守っている人がいないからである。それが将来の自分のことだと思ったとき他人事ではない恐怖になった。現実に自分もそういう状態に置かれていたのだ。家族とは一か月の間一回も連絡もとれなかった。誰も助けるものもいなかったのだ。病院では確かに体はみるが心はみない、体を機械のように診ているということがある。


人間は確かに一部は機械なのかもしれない、カ-テルとか人工血管とか人工心臓とか機械に肩代わりできるからだ。だからいちがいに機械的にみることが悪いとはならない、しかし一方で人間は人間としての尊厳があるのは精神があるからだ。心があるからだ。その心が何かというとむずかしいが肉体だけを機械的にみるだけではない、人間としての誇りなどが必ずあるからただ肉体だけを生かすのは地獄的な処置に感じてしまう。特に高齢者は治療しても直らないからである。胃の検査するといっても九四才にだからどうせ直らないし検査は嫌だからしたくないと言っても一旦入院すると拒否できないのだ。つくづく入院したら自由がなくなる。刑務所ではないのだが病院や医者の権限が強くなる逆らえるなくなるのだ。それは病院側でも何か事故があることで責任が問われることを極端に恐れるということもある。だからなるべく安全にするために手袋をはめたりさせてベッドから落ちないようにする。それもわかるが入院すると医者の言うことは命令は拒否できなくなる。病院に通うなら自由はあるが拒否もできるが入院すると拒否できないのである。そこでカルト宗教団体などがかかわると本当に怖いことになる。極端になると必要のない手術して死んでいる人もいたのかもしれない、家族がいないから誰も文句を言う人もいないから見逃されるのである。人体実験のようなことも平気で成されるかもしれない、そうしても訴えられることがないからそういうことが行われる。


弱者というとき強者が弱者を食い物にされることは普通にある。自然界では弱ったものが餌食になる。これは人間界でもある。ただ人間界では複雑であり弱者が弱者を食い物にすることもある。弱者だから食い物にされやすいのである。強者は食い物にされにくいからだ。現代社会では誰が弱者で強者かはわかりにくい、交通事故では保険会社は強者であり法律をたてに保険金を安くできるが被害者は法律がわからないし訴えることがむずかしいから弱者になる。腕力が強いとかが今は強者、弱者を分けるものではない、一般的には今は貧乏人は弱者になるだろ。その貧乏人が貧乏人を食い物にする。ただ食い物にしやすいということでそうなるのである。現代のような不況が長引き格差社会になると治安は本当に悪くなる。アメリカのように金持ちは塀に囲まれた中で警備されて暮らすようになるかもしれない、そして貧乏人はスラム街にすむようになる。そして富者と貧乏人は交わらないで暮らすようになるかもしれない、そうなると富者は貧乏人にかかわらない、塀を作り別々に暮らすのである。そして弱者同士が殺し合うことが行われている。強者の富者は塀の中で警備されて安全を確保するからである。弱者同士が争いする不毛が起きてくる。日本は江戸時代から士農工商があっても武士は貧乏であり生活にそれほど差がなかった。ヨ-ロッパでは貴族階級との階級差が大きいからマルクスのいうような革命があり貴族階級が虐殺されたのである。日本の明治維新は武士階級をなくすことだがそれは庶民が革命を起こして殺戮したのとは違っているのだ。その後日本では確かに地主階級があったにしろ戦後は中産階級の時代でありみんな平均的な暮らしをすることができた。
でも高度成長が終わると中産階級が没落して格差社会になり治安が悪化したのである。
これもアメリカ化してきたのである。悪い面でも日本は必ずアメリカににてくる。


弱者を食い物にすることは一番悪質である。弱者は弱者に同情して助け合うというのが昔はあった。今は弱者は確かに生活保護のように国で保証されるがそれも手放しでいいものとはならない、弱者だから恐ろしい人体実験のような食い物にされるのだ。野宿しているより病院の方がいいというのもわかる。誰も心配してみてくれないより病院の方がいいと感じるのもホ-ムレスとなるとそれだけ悲惨だからそう思う。でも高齢者であれ障害者であれ何であれ弱者が食い物にされるということは悪質である。強者が弱者を食い物にすることが一番悪質なのだろう。弱者が弱者を食い物にするのはせっぱつまっていることがある。弱者も相手の弱点につけいり襲いかかってくる。正に弱肉強食の世界が現実だった。世界の歴史自体が弱肉強食であった。敵国が弱れば攻めて国土を拡大したり利権を手に入れるのがそうだった。だから国同士は常に敵対関係にあり油断すれば相手が容赦なく攻めてくるのだから弱肉強食の世界なのである。

それは対外的ではなくても国内でも常に起きているのだ。とにかく格差社会は治安が悪くなる。人が信用できなくなる社会である。アメリカのようにへたすると拳銃を常時もっているような社会にもなる。田舎でもそうなっているとき豊になってもいい社会とはいえない、貧乏なときの方が日本人はもっと安全に暮らしていたとするとやはりアメリカの金万能社会が日本人の昔からあったモラルを崩壊させた。それは必然的にアメリカ社会ににてくる。いい面では物質的には充たされたとなるが今はまた物質的にも充たされない新しい貧乏格差社会になっているからそれが治安を悪化させ安心して近くの人を信用できないという社会にしてしまったのである。

posted by 老鶯 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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