

氷張る手水鉢の中枯葉見ゆ
氷張る手水鉢の中二枚ほど枯葉閉ざされ日も暮れむとす
90過ぎなお生きるかも氷張る手水鉢に枯葉二枚や日も暮れんとす
争わぬ寂けさここに静まりぬ石の黙してしんしんと冷ゆ
今年は寒い、だからなかなか外に出れない、病気ももっているから余計にそうなった。俳句とか短歌はやはり基本は写生である。手水鉢の中に枯葉が二枚ほど見えた。氷に閉ざされていた。それをそのまま写生するのが俳句であり短歌なのである。ここにいろいろ理屈を入れると短いからものの本質を現すことができないのである。その閉ざされた中にある枯葉はまさに90過ぎてもなお生きる母とか他の老人をイメ-ジするのもいい、それにぴったりかもしれない、病院にいるのはまさにこの氷に閉ざされた枯葉に見えた。瀕死の人もいる。療養病棟に二年間も近くの人が二人もいる。なかなか死なないのが現代の老人であり病院にいたら手当てするから死なないのである。ただ病院はつぎつぎと新しい病人が入ってくるしやがて入院すらできなくなるかもしれない、そういう恐怖がせまっているのかもしれない、次々に運ばれてくる老人の病人を見ているとそう思う。近くだからいいがこれが遠くになったら通いない、在宅になったらまた大変である。今は一人の方がのびのびして楽だなとつくづく思う。自分はいろいろあって老親の介護には疲れた。いなくなったらせいせいしたということもある、正直に言えばそうなる。人間はやはり病気の人であれ老人であれやっかいなめんどうみなければならない人が家にいることは大変なことである。一人の方がせいせいしていいとなる。そしていろいろあったからこの冬は石のように黙して休みたいということだある。冬は冬籠もりであり冬眠がいい、じっ-としているのが気持ちいいのだ。
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