仙台に行かず久しき冬の暮遠くなりにき年は変われど
故郷に母なお生きて病院に今日も通いつ冬のくれかな
本一冊残す厚さや農民の苦労を語る冬に我が読む
人間は今のことばかりに集中するが常に過去から今を語らないと人間の真実は見えてこない、それで一冊の分厚い農民の残した日記を読んでいる。これを理解すること自体容易ではない、その時の農民は小作農が不満でも他に仕事がないから困窮した。今なら他に仕事があればそんな小作農などしていないのである。今からふりかえると農民の問題は農業だけの問題だけで解決しなかった。戦後の高度成長や工業化やグロ-バル化でいろいろ仕事がふえて解決したのだ。そこが見落としやすいのである。農家は一年の内七日間しか働かないというとき他に仕事を持つようになったからそうなった。専業農家は働いても他の兼業農家は働いていない、そういう人は農民とも言えない、農業にもそういう矛盾があった。病院であった農民は専業農家だった。五町と十五町を耕作していたからである。そういう農家と他の兼業農家は区別すべきなのだろう。ただそういうことが前面にでてこないのは票田としてあるからだというのは本当なのだろう。もう一つは土地を手放さないのはやはり土地は財産であり他人を請け負わせてわずかの田でも米を作らせたりしていればなにかのときに役に立つとか食料危機が来たりしたら助かるとかで安全弁として手放さないということもある。それで農業が集約化できないのだろう。
ともかく田舎の仕事は土木建築関係者と農民がほとんどである。他の職種が少ないのである。だからどうしても農業の関心が高くなるのである。
実際に病院に行くと農民が実に多いことでもわかる。今日も隣の人が入れ代わり若い人が見舞いに来ていたが一〇人くらいきていた。分家の誰だとかなんとか来ていた。自分の家は二人だけだからうらやましいと思った。農家ではまだ分家などが生きていて協力したりしている。これは大家族制の名残なのだろう。つくづく田舎では農家意外の仕事についている人は本当に少ないしそうした話を直接聞くことができない、都会だったらほとんど農家の話しは聞かない、そうなると田舎では職業の選択が限られてくる。まず親がほとんど農家だったら他の職種の話を聞かないからである。都会は逆に多様な職種の人が住んでいるから違ってい。ここに都会と田舎の大きな差があるのだ。
今の時代の感覚としてもう一つは「どこでも近い、世界でもどこでも行ける」という感覚である。
常に遠くでも近いし遠くへ遠くへ志向する。仙台でも相馬から通勤している人がいるから近い感覚になる。新幹線とか通っているところは東京も近い感覚になる。車社会になりさらに遠いという感覚がなくなった。交通の便が悪い時代はどこでも遠いという感覚であった。最近は旅にも行けず仙台に行かないとなると仙台でも遠くなるのだなと思った。ただ人間は老人になるとみんな遠い感覚になってしまう。時間的にもすでに生きてきた過去は遠い日でありさらに遠くに行くことも病気などでなくなると仙台でも遠いとかすべて遠くなってしまうのである。老人になるとやはり定着でありある地域からあまり動かない生活になるのが普通である。すると近くが大事になる。遠くへ遠くへという生活感覚からこれも違ったものになるからとまどうのである。
老人の生活感覚と若者の生活感覚は違っているが時代的に逆に老人の生活感覚が現代の生活感覚になる傾向もある。モノも買わない、海外旅行もしないとか・・・・これもまだ時代の変化なのかもしれない、高齢者の生活感覚が全体の生活に影響しているのである。