2010年12月24日

年の暮(父の残せる通い帳)

 

年の暮父の残せる通い帳

昔は掛け売りであり月末とか節季に例えば大晦日がそうである。そういう日にまとめて支払う。長屋でも毎日家賃を回ってとっていた。戦前に自分の家で一時期部屋を貸していたからそのことを語っていた。これも手間なのだけどその時人と人が顔をあわすことが多かったということである。昔の売り買いは人と人がじかに取引するから何でも顔を合わすことが多かった。だから大家になって毎日家賃をとに行っていたら毎日会うことになる。そうすると今のような孤独死などはないだろう。一面プライバシ-がないとなげていた。長屋は隣がつつぬけになるからプライバシ-がない、みんなわかってしまうから困るということもある。でも近隣の事情がわかってしまうから互いにいい面でかかわりあい助け合うということにつながる。


私の父は酒屋の丁稚であり残ったのが通い帳である。父も節季には集金に回っていたのである。そういうふうに集金に回るときはやはり狭い範囲でないとなかなかできない、歩いて集金することが多いからである。昔の生活で一番わかりにくくしているのが歩くことが移動することであり歩くとなるとそんなに遠くに行けない、近くで用をたすほかないのである。今は車で遠くに行けるから歩いて生活しているということが実感としてわからなくなったのである。江戸時代の特徴は動かない極力移動しない生活だったのである。これは江戸の長屋でも住人が長く住んでいて変わらなかったというから今の都会とは相当に違っていた。通い帳で借りて買うとしたら人々が動かないことを前提にしている。今なら一か月たったら引っ越しているかもしれないし貸した金をとれなくなるかもしれないと考える。昔は長く移動せずに住んでいる。だから引っ越していなくなるということはよほどのことがない限りないのである。意外とここが昔を知る盲点になっているのだ。つまり現代の生活があまりにも移動しているから移動が常態になっているからこそ昔の生活が想像できなくなっているのだ。この移動しないで生活していることが生活全般に影響していたのである。だから今このことを探求しているのである。


現代から歩く通りが失われた。そのために車が通らない歩行者天国が一時できた。車社会になると歩く通りが消失した。車が通っていても人が見えない時代になったのである。まず昔は人が頻繁に行き来してしいた。年の暮になったらそうである。そういう光景は確かにまだあるにしても全国にあるわけではない、今の街の通りはシャッタ-通りになっているからないのだ。人が集るところはス-パ-であり通りを歩く人ではない、昔は家々を商売する人でも通い帳をもって歩いていたのである。父もそうして働かされていたのである。ともかく通い帳とはまさに一軒一軒掛け売りしたものをとりに歩いていた。それが年の暮になれば一層忙しいものとなっていた。そこで払えない人もいた。酒屋をやっていて実際に農家の人で売り掛け貸した金がたまって払えなくなりわずかの土地を担保にして酒を買った。その担保にした土地の証文が残っていたがその土地からは未だに税金をとられるだけだったのであり売ることもできない土地であった。

その人の家にはそれなりに必ず何かしら祖先の残したものがある。武家だったら実際に古い刀が残っていたとなるとそれは江戸時代のものだから価値あるものである。一般庶民には残されていないからだ。古い家には土蔵に何かしら残っていてそこから郷土史の一端を垣間見ることができる。だから旧家に生まれた人は歴史家になりやすいのである。

「相馬郷土史研究」になるものを書いていない、最近別なことに興味をもっているのでいろいろやることができなくなっている。家事全般から介護になったらとてもできない、やはり暇がないと学問はできない、スコ-レ(暇)が学問のはじまりだったのである。


冬の日(酒屋の通帳)
http://www.musubu.sblo.jp/article/1836589.html

posted by 老鶯 at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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