2010年12月19日

モラルを維持する自浄能力がない社会組織は滅びる


モラルを維持する自浄能力がない社会組織は滅びる

●自浄能力というキ-ワ-ド


自浄能力というキ-ワ-ドを調べたらそれなりにマッチしたものがインタ-ネットから探せた。こういう読書の仕方は今までなかった。一冊の本を読むことはあってもインタ-ネットは何十冊の本からキ-ワ-ドで探しマッチしたものを編集すると一つの新たな創作となる。編集とは創作なのである。出版社は消えても編集者の役割は大きいのである。



たとえば名主や年寄りの選挙は当たり前にあったし、彼らの権限も、人々の生活全般に及ぶ、まことに広範なものだった。注目すべきは、これら中間組織のほとんどについて、幕府が直にオーガナイズした形跡がない、ということだ。

なぜ地方に自浄能力があり、国にないのか
http://kinny.iza.ne.jp/blog/entry/957659/


武士という身分は『武士道』というものに昇華されて、何よりも『誇り』を大切にする存在に変わっていった。そして、武士のモラルは農民や町民にまで波及し、日本人全体がある種の『プライド』で成立していた。

守るべきもの
http://wind.ap.teacup.com/kakiuchi/460.html



●なぜ「武士道」が賛美されるのか?


モラルとしても自浄能力が一番あったのは侍-武士社会だった。侍を律するのは侍しかない、警察や司法機関が確かにあったがドラマでも町方の役人が藩は自治であり司法権も及ばない、門は固く閉ざされ悪事をしても踏みいることはできなかった。そもそも侍に対しては裁判権もなかった。裁判できるのはそれぞれの藩でしかできない、だから侍のモラルは厳しかった。その制裁は切腹とか非常に厳しいものだった。そういう自浄能力があったから町方などの役人はとりしまる必要がなかったしできなかった。侍が武士道がなぜこれほど賛美されるのかやはり日本人のモラルがここにあったからだろう。武士のモラルは下々まで影響していたのである。そもそもモラルを道徳をいうときそれを実践しているものが見本が模範なければ実行しようがないのだ。そういう模範となる見本となるものが武士にあったから庶民も見習うことができたのである。
エリ-トとは厳しい自浄能力をもった階層でありそういうエリ-ト集団がなければモラルは実行しえない、すべてがエリ-トととなる必要はない、しかし高いモラルを維持するエリ-トなき組織集団は腐敗する。現代はまさにそうである。高いモラルを例外的な個人にはあっても江戸時代のような武士階級がないのだからなくなった。それに代わるエリ-トは何なのか?結局明治以降は立身出世主義であり利が第一の社会に変わった。


●模範とするべきエリ-トがないと庶民まで堕落する


前はまだ日本人的な義理人情とか庶民の間でも残っていたがそうしたものも戦後は利一辺倒であり喪失した。もはや何かの価値判断は得するか得しないかしかない、教育からしてそうである。大学に行くのも真理を究めるとか言ったら同輩の間でも笑われるだろう。ただ利を求め得するために生活で得するために入る。それで有名大学に入ればいい会社に入れるとか楽な暮らしができるとかしか価値基準がなくなった。受験戦争はまさに他者を蹴落としてでもいいから自分が得する生活で楽するために勉強するのである。公務員になるとしたら安定して得するからである。あらゆる人間関係でも勉強する動機も働く動機もいくら金がもらえるしか現実にはないのである。それは手伝いとかヘルパ-とか何か福祉的なものですらそうである。常に問題は「いくら金になるのか」「この家で働いていくら金になるのか」動機はそれしかない、そういう人はそもそも奉仕するなどという動機は全くないから問題が起きることがある。アメリカの富豪の家で働く女性を裸にして働かせるというのもそのためである。その家で働くにしても動機が金しかないから金目のものはないかと探しながら働いている。そういう人を雇っても安心は全くないのである。全く雇う方も信頼せずに働かせているのだ。


江戸時代は役人の力は微力だった。現代のように巨大化した警察や司法機関はない、村々の自治体がそれに代わるものとして機能していたのである。今はそうした治安や裁判をすべて警察や司法機関や官僚にゆだねているのだ。日本では談合とか示談が問題解決として多いのはそうした村の自治があったからである。欧米と違ってすべて法律で処理するのではなく自治組織がありそこで自浄能力があり解決ししていたのである。実際はその方が日本のような狭い社会では理にかなっていたこともあったのだ。法律が一見合理的解決にはいいように見えても人間社会は複雑であり理論どおりにはいかない、警察とか司法機関にすべてをゆだねることはかえって小さな組織ではマイナスになる。あとあとしこりが残ったりすべての問題解決に向いているとはいえないのである。

それ以上に常に官僚組織の腐敗が言われ、検察や警察さえ腐敗が言われるように自浄能力が低下している。武士階級は侍は支配階級は特別な高いモラルが要求されたのは当然だった。それで切腹とかの制裁があった。それは自浄能力があったからこそであり今も武士道が賛美されるのはそのためである。モラルはいくら法律で官僚や警察司法機関がとりしまっても実行できない、犯罪はますますふえるだけなのである。その根本にもはや模範とする見本とすべきものが現代の社会にない、大衆社会とか大衆が主役であるとかなりもうそこにはただ利だけ得するか得しないかしかの価値基準がない、そして互いに利を求めて競争して人は人に対して狼になっているのだ。現代はモラルなき自浄能力のない個々が野獣と化した社会である。確かに警察や司法機関で犯罪をとりしまるが個々の社会内部で自浄能力のないときいくら官僚組織や警察や司法機関がとりしまっても限界がある。内部的に自浄能力のない社会は組織はもはやモラルを維持できないし滅びすゆくほかないのである。

posted by 老鶯 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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